「中山城跡」を調べていて、群馬の記事が出てきたり山形の写真が出てきたりして、結局どこの城なのか分からなくなっていませんか。実はこれ、検索する人のほぼ全員がつまずくポイントです。中山城という名前の城は全国に5か所以上あり、しかもそのうち2つは岐阜県内にあります。
先に結論をお伝えします。岐阜県内の中山城跡は、飛騨・高山市下岡本町の中山城跡と、美濃・郡上市八幡町相生の中山城跡の2つ。前者は岡本豊前守が割拠したと伝わる城で明確な遺構がほとんど残っておらず、後者は標高392メートルの山上に曲輪・石垣・堀切が残る本格的な山城です。一方、ネット上でいちばん情報量が多い中山城跡は群馬県吾妻郡高山村のもので、こちらは北条氏が真田攻めの拠点として築いた城。御城印まで販売されています。
この記事では、岐阜の2つの中山城跡を軸に、全国の同名の城跡をひとつずつ整理します。城主・築城時期・標高・遺構・アクセスまで、出典を示しながら並べていくので、読み終わる頃には「自分が行きたかったのはこの中山城跡だ」とはっきり決まっているはずです。山城歩きの装備や季節選び、あわせて巡りたい岐阜の城跡も後半でまとめました。
・岐阜県内にある2つの中山城跡の場所・歴史・遺構
・群馬・山形・長野・広島の中山城跡との違い(比較表つき)
・御城印が手に入る中山城跡はどこか
・山城歩きの装備・季節選びと、あわせて巡りたい岐阜の城跡
中山城跡は全国に5か所以上ある|まず「どこの中山城跡か」を確かめよう

城めぐりを始めたばかりの人がいちばん混乱するのが、同じ城名が全国に散らばっているケースです。中山城はその典型で、岐阜・群馬・山形・長野・広島に同名の城跡が確認できます。まずは「自分が行きたい中山城跡はどれか」を絞り込むところから始めましょう。
同じ名前の城が各地にあるのはなぜ?
結論から言えば、中世の城名の多くが「地名そのもの」だったからです。城は築かれた土地の名で呼ばれるのが基本で、「中山」という地名は全国どこにでもあります。山あいの集落で、山と山の中間にある場所、あるいは中央にそびえる山。そうした地形はどの国にもあり、そこに城が築かれれば自動的に中山城になったわけです。
実際に確認できるだけでも、岐阜県高山市、岐阜県郡上市、群馬県吾妻郡高山村、山形県上山市、長野県上田市、広島県廿日市市に中山城(跡)があります。城主も北条氏、伊達氏の家臣、大井氏、稲葉氏、相良氏とまったく別系統で、互いに関係はありません。城めぐりの資料を読むときに「上野の中山城」「出羽の中山城」と旧国名を頭につけるのは、この混同を避けるための実務的な工夫です。
旅の計画を立てる人にとって厄介なのは、検索結果に複数の城の情報が混ざることです。「中山城跡 御城印」で調べると群馬の情報が、「中山城跡 天守台」で調べると山形の情報が上位に来ます。岐阜の中山城跡を目指しているなら、検索語に必ず「岐阜」「高山市」「郡上」を足してください。これだけで無駄足の大半は防げます。
岐阜県内には中山城跡が2か所ある
岐阜県内の中山城跡は、飛騨と美濃に1つずつあります。飛騨側は高山市下岡本町、美濃側は郡上市八幡町相生です。同じ県内にありながら車で1時間半以上離れており、性格もまったく違います。
飛騨の中山城は、高山市の資料に「高山の中山に岡本豊前守」が割拠していたと記される城です。国道41号沿いの下岡本町にあり、居館跡付近には富士神社が建ち、背後の山に詰城跡が続いていたと伝わります。ただし土塁の一部が残ると記録された時代を過ぎ、現在は明確な遺構を追いにくい状態です。歴史の舞台に立つことに意味を見出せる人向けの場所と考えてください。
一方、郡上市八幡町相生の中山城は標高392メートル・比高193メートルの山城で、曲輪・石垣・堀切が残っています。城主は稲葉氏と伝わり、長良川鉄道の相生駅から登城口まで徒歩2分という、山城としては破格のアクセスの良さが特徴です。遺構を自分の足で確かめたいなら、岐阜県内ではこちらが本命になります。
どちらも入場料はかからず、見学は自由です。ただし整備された観光施設ではないため、案内所も売店もトイレもありません。行く前に飲み物と地図を用意しておくのが前提になります。
検索結果を見分ける3つの手がかり
目の前の記事がどの中山城跡について書いたものか、3つのキーワードで判別できます。判断の精度を上げると、旅程を組むときの調べ物が一気に速くなります。
1つ目は「御城印」です。中山城跡の御城印を扱っているのは群馬県高山村の城で、道の駅中山盆地の農産物直売所で白の通常版300円、黒の特別版500円が販売されています。御城印の話が出てきたら、まず群馬の城だと考えて間違いありません。
2つ目は「天守台」。石垣で組まれた天守台が遺構として挙がっていれば、山形県上山市の中山城跡です。伊達輝宗が最上氏への最前線として築かせた城で、慶長出羽合戦では直江兼続率いる上杉軍2万の拠点にもなりました。
3つ目は「畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)」。斜面に何本もの竪堀を放射状に並べた西日本らしい防御施設で、これが出てくるのは広島県廿日市市河津原の中山城です。逆に、岐阜の2城の記事にはこの3語はまず登場しません。手がかりを頭に入れておくと、読み始めて10秒で判別できます。
整備状況は城によって天と地ほど違う
同じ「中山城跡」でも、現地の整った度合いには大きな開きがあります。ここを見誤ると、期待して行った先に何もなくて肩を落とすことになります。
群馬県高山村の中山城跡は本丸周辺が整備され、石碑の近くに無料の駐車スペースが2〜3台分あります。国道145号沿いという立地で、車を降りて数分で土塁と空堀が見られる手軽さです。山形県上山市の中山城跡は旧中山小学校跡が登城口で、そこから山頂まで徒歩20分ほど。長野県上田市の中山城跡は平成元年12月20日に市指定史跡となり、内郭中央には秋葉神社が祀られています。
これに対し、岐阜の2城には駐車場の公式な案内も、順路を示す看板の整備状況を保証する情報もありません。とくに飛騨側は遺構そのものが判然としないため、「城跡らしい景色」を期待して向かうと確実に落胆します。逆に郡上側は堀切や石垣が残るので、山城の構造を読む練習をしたい人には向いています。
訪問先を選ぶときは「何を見たいか」を先に決めるのが近道です。遺構を見たいのか、歴史の舞台に立ちたいのか、御城印が欲しいのか。目的が決まれば、行くべき中山城跡は自動的に決まります。
飛騨の中山城は国道41号沿いに眠る|岡本豊前守が割拠した高山市下岡本町
飛騨の中山城は、高山市街から国道41号を富山方面へ北上した下岡本町にあります。高山市が公開している市史の記述に名が残る、飛騨戦国史の一場面を担った城です。
富士神社が建つ居館跡と、背後の山に続く詰城
この城は「居館+詰城」というセットで構成されていました。ふだんの暮らしと政務は山麓の居館で行い、戦になると背後の山に登って籠もる。中世の在地領主が採った標準的な形式です。
現在、その居館跡付近には富士神社が鎮座しています。城主が富士浅間大権現を篤く信仰していたことから、後年に村人が社を建てたと伝わるものです。城の建物は残っていませんが、神社が建つ場所そのものが「ここに人の営みの中心があった」という証拠になっています。背後の山には詰城の跡が続いていたとされます。
訪問に向くのは、遺構の写真を撮りに行く人ではなく、地形から昔の暮らしを想像するのが好きな人です。国道から一本入った小道を進み、山と川に挟まれた細長い土地に立つと、飛騨の領主たちがなぜこの場所を押さえたかったのかが体感できます。北へ抜ければ越中、南へ下れば高山盆地。街道を押さえる位置に城があるわけです。
注意点として、ここは観光地ではありません。周囲は生活道路と民家で、駐車場も案内看板も整備されていません。路上駐車は近隣の迷惑になるため避け、高山市街から公共交通と徒歩で組み合わせるか、駐車できる場所を確保してから短時間で切り上げる計画が現実的です。
| 名称 | 中山城跡(飛騨・高山市) |
| 所在地 | 〒506-0052 岐阜県高山市下岡本町 |
| 見学 | 自由(無料) |
| 城主 | 岡本豊前守・岡本豊後守と伝わる |
| 遺構 | 明確な遺構は残らない(居館跡付近に富士神社) |
| 駐車場 | 専用駐車場なし |
| 参考 | 高山市公式サイト「高山の歴史」 |
岡本氏を襲った天正5年の落城
飛騨の中山城が歴史の表舞台から消えるのは天正5年(1577年)です。三木氏5代目の自綱が姉夫妻を攻め滅ぼし、城も焼け落ちて廃城になったと伝わります。身内を討つ形で決着した、飛騨戦国史でも生々しい一幕です。
背景を押さえると理解が進みます。高山市の資料によれば、三木自綱は永禄元年(1558年)に広瀬氏と結んで高山外記・山田紀伊守を滅ぼし、勢力を広げました。そして天正10年(1582年)、国府町八日町の戦いで江馬輝盛を破り、飛騨をほぼ制圧します。「飛騨分け目の合戦」と呼ばれる決戦です。中山城の落城は、その制覇へ向かう過程で起きた出来事にあたります。
その三木氏も長くは続きません。天正13年(1585年)、豊臣秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、越前大野城主だった金森長近が飛騨攻略を命じられ、同年8月に三木氏の居城・松倉城を攻め落として飛騨を平定しました。翌天正14年8月7日、長近は飛騨国3万3000石の国主として入府します。中山城の焼失からわずか8年で、飛騨の支配者は入れ替わったわけです。
現地に立っても、この物語を語ってくれる案内板はありません。だからこそ、歴史を頭に入れてから訪ねる価値があります。何もない土地に見える場所が、8年間で二度支配者が変わった激動の舞台だったと知って眺めると、風景の見え方が変わります。
📜 歴史メモ
飛騨の戦国は「三木氏の台頭」と「金森長近の平定」の二幕で読むと分かりやすくなります。永禄元年(1558年)に三木自綱が高山外記らを滅ぼし、天正5年(1577年)に中山城が落城、天正10年(1582年)の八日町の戦いで江馬輝盛を破って飛騨を制覇。しかし天正13年(1585年)に金森長近が松倉城を落とし、翌年には飛騨国3万3000石の国主として入府しました。中山城跡は、この第一幕の途中で舞台から消えた城です。
遺構がほぼ残らない城跡を訪ねるという選択
「行っても何もないなら意味がないのでは」と思う人もいるはずです。実際、写真映えする石垣も、歩ける曲輪もありません。それでも訪ねる価値があるとすれば、それは地形が語るものを読む楽しみにあります。
飛騨の中山城が押さえていたのは、高山盆地と越中を結ぶ街道筋です。現在の国道41号がほぼその流れを踏襲しています。車で北上しながら「ここから先は狭くなる」「川が寄ってきた」と地形の変化を感じ取ると、なぜ領主がこの一帯に拠点を構えたかが腑に落ちます。城跡を点ではなく線で捉える見方です。
おすすめの使い方は、単独で目的地にせず、高山観光や奥飛騨方面へのドライブの通過点に組み込むこと。国道41号を北へ走るなら下岡本町はほぼ通り道です。5分だけ立ち寄って富士神社に手を合わせ、周囲の地形を見て次へ進む。この距離感がちょうどいいと思います。
逆にすすめられないのは、遠方から中山城跡だけを目当てに高山まで来ることです。滞在時間に対する満足度が見合いません。飛騨で城跡をしっかり歩きたいなら、後半で紹介する松倉城跡や高山城跡のほうが確実です。

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どんな人に向く訪問先か
飛騨の中山城跡が刺さるのは、大きく3タイプです。ひとつは飛騨の戦国史を系統立てて追いかけている人。三木氏の勢力拡大の道筋を現地でたどるなら、外せない一点になります。
ふたつめは、神社めぐりが好きな人。富士浅間信仰が飛騨の山里にまで届いていた事実は、それ自体が面白い話です。城主の信仰が村人に受け継がれ、社という形で500年近く残っている。建物が消えても信仰が土地に残るという実例を、現場で確かめられます。
みっつめは、一人旅で寄り道を楽しむタイプ。家族連れやカップルで訪れると「これで終わり?」という空気になりがちですが、一人なら誰にも気兼ねなく地形を眺めていられます。所要時間の目安は10〜15分程度です。
逆に、小さな子ども連れには向きません。遊べる場所もトイレもなく、生活道路を歩くことになるからです。子連れで飛騨の城跡を楽しむなら、遊歩道が整い駐車場もある松倉城跡か、公園として整備された高山城跡を選んでください。
郡上の中山城跡には石垣と堀切が残る|相生駅から徒歩2分の登城口

岐阜県内で「山城としての中山城跡」を味わえるのは郡上市側です。長良川鉄道の駅から歩いてすぐという珍しい立地で、山城初心者の練習台としても優秀な城跡になります。
標高392メートル・比高193メートルの本格山城
郡上市八幡町相生の中山城は、標高392メートル、比高193メートルの山上に築かれています。比高とは麓からの高さの差のことで、193メートルは「登り応えはあるが日帰りで十分」という数字です。ビルでいえば50階分ほどを階段で上がるイメージになります。
残る遺構は曲輪・石垣・堀切。曲輪は兵や建物を置いた平坦面、堀切は尾根を断ち切って敵の進入を防ぐ溝で、山城の三大見どころのうち二つがそろっています。石垣が確認できる山城は美濃・飛騨では多数派ではないため、この点でも訪ねる価値があります。
城主は稲葉氏と伝わります。郡上八幡城が稲葉貞通の手にあった時期があることを踏まえると、郡上の支配構造のなかで中山城が果たした役割を想像する材料になります。ただし築城年など不明な部分も多く、確定的な資料は限られる点は正直にお伝えしておきます。
見学は自由で費用はかかりません。登城の所要時間は往復で1時間半〜2時間を見ておくと安心です。夏場は下草が茂って踏み跡が読みにくくなるため、遺構をきちんと観察したいなら草木が落ちる時期を選んでください。
| 名称 | 中山城跡(美濃・郡上市) |
| 所在地 | 〒501-4236 岐阜県郡上市八幡町相生 |
| 見学 | 自由(無料) |
| 標高・比高 | 標高392m(比高193m) |
| 遺構 | 曲輪・石垣・堀切 |
| 駐車場 | 専用駐車場の案内なし |
| アクセス | 長良川鉄道 相生駅から登城口まで徒歩2分/東海北陸道 郡上八幡ICから約8分、美並ICから約10分 |
相生駅から徒歩2分という、山城では異例のアクセス
山城めぐりの最大の障壁は「登城口までのアクセス」です。登山口が林道の奥にあり、そこまで車で行くしかないケースがほとんど。その点、郡上の中山城は長良川鉄道越美南線・相生駅から登城口まで徒歩2分と、極端に条件がいい城です。
登城口は郡上八幡老人憩いの家の付近にあります。電車で行くなら、美濃太田駅から長良川鉄道に乗り換えて相生駅で下車。ローカル線の車窓から長良川の清流を眺める時間そのものが旅の一部になります。ただし越美南線は運行本数が限られるため、下山後の列車時刻を先に確認してから登り始めてください。ここを怠ると、下山後に1時間以上待つことになります。
車の場合は東海北陸自動車道の郡上八幡ICから約8分、美並ICから約10分。どちらのICからも10分圏内という、車社会の岐阜では申し分ない距離です。ただし専用駐車場の公式な案内はないため、相生駅周辺や郡上八幡市街の駐車場を利用し、そこから歩く前提で計画したほうが安全です。
郡上八幡の城下町から車で10分ほどという位置関係も見逃せません。午前中に中山城跡を登り、午後は城下町の町歩きと郡上八幡城、という半日プランがきれいに組めます。

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登る前に知っておきたい失敗パターン
山城で最も多い失敗は「登城口が見つからない」です。中山城跡でも、駅から徒歩2分という情報だけを頼りに現地へ行き、案内表示を探すうちに時間を使い、結局登れずに帰った、という展開が起こり得ます。整備された観光地ではないため、大きな看板が立っているとは限らないからです。
対策はシンプルで、出発前に地図アプリで登城口の位置をピン留めし、オフラインでも見られるようスクリーンショットを撮っておくこと。山あいでは電波が弱くなる場所があるため、現地で地図を読み込めない事態にも備えられます。加えて、日没の1時間半前には登り始めないと決めておくと安全です。
もうひとつありがちなのが、街歩きの服装のまま登ってしまうこと。比高193メートルの山道は、スニーカーでも上れないことはありませんが、雨上がりの落ち葉の斜面は滑ります。堀切は溝状の地形なので、足元が悪いと転倒のリスクが上がります。歩き慣れた靴と、両手が空くリュックは最低条件です。
そして意外に効くのが軍手。山城では急斜面で木や岩をつかむ場面があり、素手だと擦り傷をつくります。100円台で買える装備で快適さが大きく変わるので、道の駅やホームセンターで用意しておくと安心です。
郡上の中山城跡には専用駐車場の公式案内がありません。登城口周辺は生活道路のため、路上駐車は避けてください。車で向かう場合は郡上八幡の市街地や公共の駐車場に停め、そこから移動する前提で計画を。電車利用なら長良川鉄道の本数が少ないため、往路より先に復路の時刻を確認しておくのが鉄則です。
郡上の山城が向いているのはこんな人
この城跡がはまるのは、山城の構造を自分の目で読み解きたい人です。堀切がどこで尾根を断ち切っているか、曲輪がどの向きに段を重ねているか。地形を追う面白さは、天守閣のある城では味わえません。
電車旅が好きな人にも向いています。長良川鉄道に揺られて相生駅で降り、山に登り、下りてきてまた列車に乗る。車を使わない城めぐりが成立する山城は、そう多くありません。カメラを持って行くなら、堀切に立って上を見上げる角度が構造を伝えやすく、写真が締まります。
一方、体力に不安がある人や小さな子ども連れには向きません。比高193メートルを登り、整備状況が読めない道を歩くことになるからです。同じ郡上で城を楽しむなら、山頂近くまで車で上がれる郡上八幡城のほうが確実に満足できます。
時間の目安は、登り40〜50分、遺構の観察に20〜30分、下り30分程度。前後の移動を含めると、半日は空けておきたいところです。郡上八幡の町歩きと組み合わせるなら、午前に城、午後に町という順番がおすすめです。朝のほうが気温が低く、体力の消耗を抑えられます。
城主が違えば物語も違う|5つの中山城跡を数字で比べる
ここからは全国の中山城跡を横並びで比較します。同じ名前でも、築かれた時代も築いた勢力も、山の高さも遺構もまるで違うことが数字ではっきりします。
【ぎふ旅手帖調べ】5つの中山城跡データ比較
各城の公開情報をもとに、築城時期・城主・標高・遺構を一覧にまとめました。旅の行き先を決める材料として使ってください。
| 城(所在地) | 築城時期 | 主な城主 | 標高(比高) | 主な遺構 |
|---|---|---|---|---|
| 飛騨(岐阜県高山市下岡本町) | 不明(永禄年間には存在) | 岡本豊前守・豊後守 | — | 明確な遺構は残らない |
| 美濃(岐阜県郡上市八幡町相生) | 不明 | 稲葉氏 | 392m(193m) | 曲輪・石垣・堀切 |
| 上野(群馬県吾妻郡高山村) | 天正10年(1582)頃 | 北条氏 | 560m(15m) | 土塁・空堀 |
| 出羽(山形県上山市中山) | 永禄〜元亀年間(1558〜1572) | 中山弥太郎・蒲生郷可・横田旨俊 | 344m(約100m) | 曲輪・土塁・天守台 |
| 安芸(広島県廿日市市河津原) | 鎌倉時代 | 河津氏・相良氏 | 325m(50m) | 曲輪・土塁・堀切・畝状竪堀群 |
※長野県上田市武石小沢根の中山城跡(永和年間・大井孫五郎長信築城、平成元年12月20日に市指定史跡)を加えると6か所になります。内郭は東西26メートル・南北16メートルで、二重の大堀切が残ります。
北条氏が真田攻めのために築いた上野の中山城
知名度で頭ひとつ抜けているのが群馬県吾妻郡高山村の中山城跡です。天正10年(1582年)頃、小田原北条氏が真田攻めの拠点として築いたと伝わります。真田昌幸が徳川方に転じたため、北条氏直が動き、真田の拠点である岩櫃城と沼田城の中間にある中山の地を押さえさせたという経緯です。
戦国末期の緊迫した政治情勢がそのまま城の形に表れているのが面白いところ。標高560メートルながら比高はわずか15メートルで、山に籠もる城ではなく、街道を押さえて軍を通すための陣城的な性格が強い城です。北条氏が滅んだ天正18年(1590年)に廃城となりました。
遺構は土塁と空堀。とくに堀は北条流の築城を伝えるものとして注目されています。石碑の近くに無料の駐車スペースが2〜3台分あり、関越自動車道の月夜野ICから約20分、JR沼田駅からはタクシーで約25分です。公共交通が限られる地域なので、車での訪問が現実的になります。
岐阜から向かうなら日帰りは厳しく、草津温泉や四万温泉と組み合わせた1泊2日が妥当です。真田氏ゆかりの城をまとめて巡る旅の一環として組み込むのが、いちばん満足度が高い回り方になります。
伊達と最上の境目に立つ出羽の中山城
山形県上山市の中山城跡は、遺構の充実度で言えば同名の城のなかでも上位です。永禄〜元亀年間(1558〜1572年)、米沢城主・伊達輝宗が最上家に対する最前線基地として、家臣の中山弥太郎に築かせたと伝わります。
この城の面白さは、城主が次々と入れ替わる点にあります。天正18年(1590年)の奥州仕置で蒲生氏郷が会津に入ると家臣の蒲生郷可が城主となり、続いて上杉景勝が会津に入ると横田旨俊が城主に。慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦では、直江兼続率いる上杉軍2万の拠点となりました。境目の城は、勢力図が動くたびに主が変わるのです。
現地には曲輪・土塁に加えて石で組まれた天守台が残ります。登城口は旧中山小学校跡で、そこから山頂まで徒歩約20分。JR奥羽本線の羽前中山駅から徒歩約10分、東北中央自動車道の山形上山ICからは車で約15分です。
上山温泉が近く、羽州の名城として知られる上山城もあります。城跡歩きと温泉を組み合わせられる立地は、旅の設計としては理想的。岐阜から行くなら、東北の城めぐり旅の一日として組み込むのが現実的です。
毛利に水を断たれた安芸の中山城
広島県廿日市市河津原の中山城は、別名を中山河津城・中山萩原城といいます。鎌倉時代に河津清勝が築いたと伝わり、のちに大内氏の家臣・相良氏が城主となりました。市の史跡に指定されています。
この城の名を歴史に刻んだのは落城の顛末です。厳島合戦の前哨戦ともいわれる折敷畑合戦に勝った毛利氏が中山城を取り囲み、水の手を切ったため相良氏が降伏したと伝わります。山城の弱点は水。籠城戦で最初に狙われるのが水源だという教科書的な事例が、この城には残っています。
標高325メートル、比高50メートル。遺構は曲輪・土塁・堀切に加えて畝状竪堀群が確認でき、東尾根の二重堀切、西尾根の三重堀切、南側の放射状の畝状竪堀群と、防御施設が密集しています。地元の方の手で整備され、各遺構に標識が立てられている点も訪問者にはありがたいところです。
比高50メートルなら短時間で登れるので、広島観光の合間に組み込みやすい城でもあります。厳島神社とセットで、毛利元就の戦略を現地でたどる旅にすると、宮島の見え方まで変わってきます。
御城印が手に入る中山城跡はどこ?|集印目的なら行き先は1つ

近年の城めぐりで欠かせなくなったのが御城印です。中山城跡についても「御城印はどこで買えるのか」という疑問は多いので、現時点で分かっている情報を整理します。
中山城跡の御城印は群馬・道の駅中山盆地で買える
結論から言うと、中山城跡の御城印を扱っているのは群馬県高山村の中山城です。販売場所は道の駅 中山盆地にある農産物直売所のレジカウンター。白の通常版が300円、黒の特別版が500円で、2020年6月6日から販売が始まりました。
道の駅 中山盆地は農産物直売所のほか、温泉施設やレストラン、足湯、キャンプ場やコテージまで備えた大型の施設です。城跡を見て、御城印を買って、温泉に浸かって帰る。この流れが1か所で完結するので、御城印集めが目的なら効率のいい行き先になります。
注意したいのは、御城印は道の駅で売っていて城跡には売り場がないという点です。城跡の駐車スペースは2〜3台分と限られるので、道の駅に車を置いて御城印を買い、そのあと城跡へ移動するという順番のほうが動きやすくなります。
問い合わせ先は高山村役場(0279-63-2111)です。デザインや在庫は変わることがあるため、遠方から向かうなら事前に確認しておくと確実です。
御城印目当ての旅でやりがちな失敗
御城印を目的に動くとき、意外と多いのが「到着したら売り場が閉まっていた」というパターンです。道の駅 中山盆地の直売所は季節によって営業時間が変わり、冬季は夏より早く閉まります。城跡をゆっくり歩いてから道の駅に向かったら、直売所のレジが閉まっていた、という展開はじゅうぶん起こり得ます。
対策は3つ。まず、御城印を先に買い、そのあとで城跡を歩く順番に変えること。次に、訪問日の営業時間を電話で確認しておくこと。そして、冬季は日没が早いので、城跡歩きを午前中に済ませる計画にすることです。
もうひとつ気をつけたいのが、御城印は現地に足を運んだ記録として意味を持つという点です。買うだけ買って城跡に寄らずに帰ってしまうと、集印帳を見返したときに現地の記憶が残りません。土塁の上に立って堀を見下ろす、その5分があるかないかで、1枚の紙の価値は大きく変わります。
岐阜から群馬まで足を延ばすなら、片道はゆうに4時間を超えます。せっかくの遠征を「紙を買っただけ」で終わらせないためにも、城跡での滞在時間を先に旅程へ書き込んでおくことをおすすめします。
集印より現地を優先したい人へ
御城印がない城跡でも、記録の残し方はいくらでもあります。おすすめは、同じ構図で写真を撮り続けること。堀切を真上から見た1枚、曲輪から城下を見下ろした1枚。城ごとに同じ視点で撮ると、並べたときに構造の違いが一目で分かるアルバムになります。
もうひとつは、現地で地形をスケッチすること。うまく描く必要はなく、曲輪の位置関係と堀切の向きを線で書くだけで、帰ってから資料を読んだときの理解度が変わります。中山城跡のように案内板が乏しい城ほど、この記録が効きます。
集印スタンプ帳という点では、続日本100名城や日本100名城のスタンプラリーもあります。岐阜県内では岐阜城や郡上八幡城などが対象で、こうした城をルートの軸に据えつつ、中山城跡のような無名の城跡を寄り道で挟む組み立てが、旅としてはバランスがいいはずです。
戦国期の美濃の城の背景を押さえておくと、郡上の中山城跡を歩くときの解像度も上がります。

「稲葉山城って、いまはもう無いの?」「岐阜城とは違うお城なの?」——戦国史を少しかじると、必ずぶつかるのがこの疑問です。結論からお伝えすると、稲葉山城と岐阜城は…
山城歩きは季節選びが9割|装備・危険・所要時間の目安
中山城跡のような整備の進んでいない山城を歩くなら、季節と装備の判断が満足度を決めます。ここは安全に関わる部分なので、具体的に書いておきます。
実は、山城のベストシーズンは紅葉の盛りではない
意外と知られていないのですが、山城歩きのいちばんいい時期は紅葉の見頃ではなく、葉が落ちきった11月下旬から12月上旬、そして芽吹く前の3月です。理由は単純で、木の葉がないほうが遺構がよく見えるからです。
夏場の山城は下草と葉が視界をふさぎ、堀切の溝も曲輪の段差も緑に埋もれます。せっかく登っても「木しか見えなかった」で終わりかねません。落葉後は地形の起伏がむき出しになり、堀切のV字や土塁のラインがはっきり読み取れます。城好きが冬に山へ入るのは、寒さを我慢しているのではなく、その時期がいちばん見えるからです。
紅葉の時期は景色としては美しいものの、遺構観察という意味では中途半端になります。落ち葉が積もって足元も滑りやすい。郡上や飛騨は雪が積もる地域なので、本格的な積雪期に入る前の晩秋から初冬が狙い目です。
逆に避けたいのは梅雨から夏。草が伸び、虫が増え、熱中症のリスクも上がります。どうしてもその時期に行くなら、朝の早い時間に登り切る計画にしてください。
岐阜は南北に長く、同じ県内でも山城歩きの適期がずれます。美濃の郡上あたりなら11月下旬〜12月中旬と3月中旬〜4月上旬。飛騨は雪解けが遅いため、4月下旬〜5月と10月下旬〜11月中旬が現実的です。飛騨で春先に山へ入ると、道が雪でふさがれていることがあります。標高が上がるほど適期が短くなると覚えておくと、計画を外しません。
最低限そろえたい装備リスト
山城歩きに登山装備一式は要りませんが、街歩きの格好では危険です。中山城跡クラスの比高200メートル前後なら、次の装備で足ります。
まず足元。歩き慣れたトレッキングシューズ、なければ底に溝のあるスニーカーを。革靴やサンダルは論外です。次に両手が空くリュック。山城では斜面で手をつく場面があり、片手がふさがっていると転倒したときに受け身が取れません。そして軍手。木や岩をつかむとき、素手だと擦り傷や棘のトラブルが起きます。
持ち物は、飲み物500ミリリットル以上、行動食、レインウェアかウインドブレーカー。山の天気は変わりやすく、汗をかいた体は風で急速に冷えます。加えて、地図アプリのオフライン用スクリーンショットとモバイルバッテリー。電波の弱い場所で地図が開けないのは、思っている以上に不安です。
虫よけスプレーとタオルも入れておくと快適さが違います。全部そろえても数千円。城跡そのものは無料で見学できるのですから、そのぶんを装備に回すと満足度が上がります。
熊・マムシ・ヤマビル|岐阜の山で本当に気をつけること
岐阜の山で無視できないのがツキノワグマです。飛騨も奥美濃も生息域で、秋の実りが少ない年は人里近くまで下りてきます。対策は音を出すこと。熊鈴をつけ、単独なら時々手を叩くか声を出す。姿を見かけたら騒がず、背を向けずに距離を取って離れます。
マムシは春から秋にかけて、日当たりのいい石垣周りや落ち葉の下にいます。山城は石垣と落ち葉がセットになった環境なので、遭遇率は決して低くありません。手を石の隙間に突っ込まない、藪に足を踏み入れないという基本を守れば大半は避けられます。
ヤマビルは湿った落ち葉の多い場所に潜み、初夏から秋にかけて活動します。靴と靴下の隙間から侵入するので、ズボンの裾を靴下に入れ、市販の忌避剤を靴周りに吹いておくと効果があります。
そして最も現実的なリスクは道迷いと滑落です。整備の進んでいない城跡では踏み跡が消えることがあります。分岐では必ず来た道を振り返って覚え、少しでも不安を感じたら引き返す。無理をしないことが、次にまた城を歩ける唯一の条件です。
所要時間の見積もり方
山城の所要時間は「比高÷100メートル×20分」を登りの目安にすると、大きく外しません。郡上の中山城跡は比高193メートルなので、登りは40分前後。ここに遺構の観察時間20〜30分、下り30分を足すと、往復1時間半〜2時間になります。
ここに前後の移動を加えます。相生駅までのアクセス、駐車場所からの徒歩、着替えや装備の準備。トータルで半日は見ておくと余裕を持って動けます。「1時間で行ける」と思って組むと、たいてい後の予定が崩れます。
写真を撮りながら歩く人は、さらに1.3倍を見込んでください。堀切ごとに立ち止まって角度を探すと、時間はいくらでも溶けます。逆に、飛騨の中山城跡のように遺構がない場所は10〜15分で十分。同じ「中山城跡」でも必要な時間はまったく違います。
日没時刻の確認も忘れずに。岐阜の山間部は日が山に隠れるのが早く、12月なら16時前後には薄暗くなります。下山完了を日没の1時間前に設定して逆算するのが安全な組み立て方です。
中山城跡とあわせて巡りたい岐阜の城跡|シーン別の回り方つき
中山城跡だけでは1日が埋まりません。せっかく飛騨や郡上まで足を運ぶなら、周辺の城跡を組み合わせて「城の日」にするのがおすすめです。岐阜には見応えのある城跡がそろっています。
松倉城跡|2025年に国史跡となった標高856メートルの石垣
飛騨で城跡を歩くなら第一候補が松倉城跡です。高山市松倉町の松倉山(標高856.7メートル)山頂にあり、令和7年(2025年)3月10日付で国の史跡に指定されました。飛騨の城としては近年最大級のニュースです。
天正7年(1579年)頃に姉小路頼綱(三木自綱)が築いた城で、飛騨南部を支配した三木氏が高山盆地へ進出する際の拠点でした。本丸と三ノ丸には長さ2メートルを超える巨石を用いた高さ約5〜8メートルの石垣が残り、二ノ丸には低い石垣と堀切があります。礎石建物2棟、櫓台、トンネル状の埋門も確認されており、破城の痕跡も見つかっています。
中山城跡を落とした三木自綱が築いた城が松倉城で、その松倉城を金森長近が天正13年(1585年)に攻め落とした——という流れを押さえると、飛騨の戦国史が一本の線でつながります。中山城跡とセットで巡る意味があるのは、この物語のつながりゆえです。
飛騨の里から城跡まで約1キロの遊歩道が整備され、所要は徒歩約30分。シンボル広場に駐車場があり、そこから登れます。石垣造りの城としては日本で最も標高が高い山城とされ、山頂からは高山の街並みと北アルプスが見渡せます。
| 名称 | 松倉城跡(国指定史跡) |
| 所在地 | 岐阜県高山市松倉町城山2059番地ほか |
| 見学 | 自由(無料) |
| 標高 | 松倉山 856.7m |
| 遺構 | 高さ約5〜8mの石垣・堀切・櫓台・埋門など |
| アクセス | 飛騨の里から遊歩道約1km・徒歩約30分/シンボル広場に駐車場あり |
| 参考 | 高山市公式サイト「松倉城跡」 |
高山城跡|金森長近が16年かけて築いた城の跡は今、市民の憩いの場
高山市街のすぐ南、城山に残るのが高山城跡です。岐阜県の史跡に昭和31年9月7日に指定され、指定面積は11.4ヘクタール。市街地に隣接しながらこの規模が保たれているのは、飛騨ならではです。
もとは文安年中(1444〜49年)に多賀出雲守徳言が築いた天神山城で、のちに多賀山城と呼ばれました。金森長近が飛騨統治の中心地としてこの地を選び、天正16年(1588年)から再築城を始め、慶長8年までの16年をかけて完成させています。しかし元禄8年、幕府の命により高山城は完全に破却され、廃城となりました。
発掘では本丸屋形礎石や玄関、本丸南側石積の根石が見つかっています。跡地には二之丸公園や飛騨護国神社が建ち、現在は城山公園として市民の憩いの場に。春は花見、秋は紅葉が楽しめ、80種の野鳥が生息する自然公園でもあります。
古い町並みから歩いて行ける距離なので、高山観光のついでに寄れるのが強みです。中山城跡や松倉城跡が「登る城」なら、高山城跡は「散歩する城」。体力に自信がない人や家族連れでも無理なく楽しめます。
郡上八幡城|日本最古の木造再建天守で山城歩きを締める
郡上の中山城跡とセットで訪ねたいのが郡上八幡城です。昭和8年(1933年)に再建された木造の模擬天守で、木造再建天守としては日本最古。昭和62年には郡上市の文化財に指定されています。
入場料は大人400円、小人200円で、20名以上は団体割引があります。開場時間は季節で変わり、3〜5月と9〜10月が9時から17時、6〜8月は8時から18時、11〜2月は9時から16時30分。12月20日から1月10日は休城です。東海北陸自動車道の郡上八幡ICから車で約12分になります。
気をつけたいのが登城道です。山頂駐車場は台数が限られ、急カーブが数か所あるため、大型車両や乗車定員6人以上の車は通行できません。ミニバンで訪れる家族連れは、城下町プラザなど麓の駐車場に停めて歩いて上がる前提で計画してください。
中山城跡で土の城の構造を見たあとに、天守の上から城下町を見下ろす。同じ郡上で「戦国の城」と「近代に再建された城」を続けて体験すると、城という建物の役割の変化が実感として分かります。
| 名称 | 郡上八幡城 |
| 所在地 | 〒501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 |
| 電話番号 | 0575-67-1819 |
| 開場時間 | 3〜5月・9〜10月 9:00〜17:00/6〜8月 8:00〜18:00/11〜2月 9:00〜16:30 |
| 休城日 | 12月20日〜1月10日 |
| 入場料 | 大人400円/小人200円 |
| アクセス | 郡上八幡ICから車で約12分(岐阜県観光公式サイト) |
シーン別|ドライブ・家族・カップル・一人旅の組み立て方
同じ中山城跡でも、誰と行くかで最適解が変わります。4つのパターンで具体的に示します。
ドライブ旅なら、飛騨コースが組みやすくなります。高山ICを降りて古い町並みを歩き、松倉城跡で石垣を見て、国道41号を北上する途中に下岡本町の中山城跡へ立ち寄る。そのまま奥飛騨温泉郷まで走れば1日が完結します。運転が主役の旅では、城跡は5〜15分の寄り道に収めるのがコツです。
家族連れなら、山に登らない選択を。高山城跡(城山公園)で遊び、郡上八幡城の天守に上る。子どもは土塁や堀切より、天守からの眺めと階段のほうが盛り上がります。中山城跡の登山は、子どもが小学校高学年になってからにしましょう。
カップルなら郡上コース。午前に相生駅から中山城跡へ登り、午後は郡上八幡の城下町で水舟や町家を巡って、郡上八幡城で締める。共通の達成感が生まれるので、山城歩きは意外と相性がいいプランです。ただし装備の共有と、相手の体力への配慮を忘れずに。
一人旅なら、時間の使い方が自由になります。長良川鉄道で相生駅へ入り、中山城跡の遺構を心ゆくまで観察して、下山後に郡上八幡へ。誰にも急かされず堀切の前で30分立ち尽くせるのは、一人旅だけの贅沢です。
まとめ|中山城跡は「どこの中山城跡か」を決めれば旅がはじまる
中山城跡をめぐる混乱の正体は、同じ名前の城が全国に散らばっていることでした。岐阜県内だけでも飛騨と美濃に1つずつあり、性格はまるで違います。高山市下岡本町の中山城跡は、岡本豊前守が割拠し天正5年(1577年)に三木自綱の手で焼け落ちた城。明確な遺構は残っていませんが、飛騨戦国史の一場面が刻まれた土地です。郡上市八幡町相生の中山城跡は標高392メートル・比高193メートルの山城で、曲輪・石垣・堀切が残り、長良川鉄道の相生駅から登城口まで徒歩2分という好条件がそろっています。
県外に目を向ければ、群馬県高山村の中山城跡は北条氏が真田攻めの拠点として天正10年(1582年)頃に築いた城で、御城印は道の駅 中山盆地の直売所で白300円・黒500円。山形県上山市の中山城跡は伊達輝宗が最上氏への最前線として築かせ、天守台まで残ります。長野県上田市の中山城跡は市指定史跡、広島県廿日市市の中山城は畝状竪堀群が見どころ。どれも「行けば分かる」ものではなく、事前に知って行くから面白い城跡ばかりです。
最初の一歩としておすすめしたいのは、郡上市八幡町相生の中山城跡です。東海北陸自動車道の郡上八幡ICから約8分、美並ICから約10分。午前に登って遺構を見て、午後は郡上八幡の城下町と郡上八幡城を巡れば、丸1日を城で満たせます。歩き慣れた靴と軍手、飲み物、そしてオフラインで見られる地図のスクリーンショット。この4つを用意して、落葉後の晴れた日を選んで出かけてみてください。土の城の構造が読めるようになると、岐阜のあちこちに残る山城が、まったく違う景色に見えてきます。
※記載の情報は2026年8月時点で公開されている資料をもとにまとめています。営業時間・料金・整備状況は変わることがあるため、最新情報は公式サイトでご確認ください。

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