関ヶ原の古戦場をめぐっていると、笹尾山や決戦地のように整備された史跡がある一方で、「本当にここでいいのか」と不安になるほど地味な場所に行き当たることがあります。本多忠勝陣跡は、まさにその代表格です。カーナビの案内どおりに走っても駐車場は見つからず、住宅と公民館のあいだの細い通路を抜けた先に、石碑がぽつんと立っているだけ。初めて訪れた人が「見落とした」と思って引き返してしまうケースも珍しくありません。
結論から言うと、本多忠勝陣跡はJR関ケ原駅から南へ徒歩8分、入場無料でいつでも見学できる史跡です。ただし専用駐車場はありません。車で行くなら岐阜関ケ原古戦場記念館の100台分の駐車場に停めて歩くのが、いちばん確実な正解になります。所在地は岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原3441-1。十九女池という池のすぐ西側、と覚えておくと現地で迷いません。
この記事では、陣跡へのたどり着き方という実用情報から、なぜ徳川四天王の筆頭格である本多忠勝がこの位置に陣を構えたのか、「軍監」という肩書きが何を意味していたのかという歴史の中身まで、まとめて整理します。あわせて、陣跡から歩いてまわれる東軍・西軍の史跡8か所も、住所と駐車場つきで紹介します。石碑ひとつを見るだけで終わらせるのは、正直もったいない場所です。
・本多忠勝陣跡の正確な住所とJR関ケ原駅からの歩き方
・専用駐車場がない問題の具体的な回避策と代替駐車場
・「軍監」として参戦した本多忠勝が関ヶ原で実際にやったこと
・陣跡から歩いて回れる周辺史跡8か所の料金・駐車場一覧
本多忠勝陣跡はJR関ケ原駅から徒歩8分|石碑にたどり着くまでの全手順

まずは現地にたどり着くための実務情報から片づけます。この史跡はガイドブックの扱いが小さく、案内板も控えめなので、事前に住所と目印を頭に入れておくかどうかで所要時間が10分は変わります。
住所は関ケ原町大字関ケ原3441-1|目印は「十九女池の西側」だけ覚えればいい
本多忠勝陣跡の所在地は、岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原3441-1です。番地だけ見てもピンときませんが、関ケ原観光ガイドと岐阜県の観光公式サイトはどちらも「十九女池(つづらいけ)の西側」と説明しています。この池を基準に考えると一気に分かりやすくなります。地図アプリで「十九女池」を検索し、その西側の住宅地に向かえば、ほぼ迷いません。
関ケ原の東軍陣跡は駅の北側に固まっている印象がありますが、忠勝の陣跡だけは駅の南側にあります。ここを勘違いして北へ歩き出すと、笹尾山方面に向かってしまい20分以上のロスになります。駅の改札を出たら、まず「南」と意識してください。
ドライブ旅で立ち寄る場合は、名神高速の関ケ原ICから車で5分ほど。ICを降りて国道365号を南下する形になるので、高速から降りてすぐ立ち寄れる位置関係です。ただし後述するとおり陣跡そのものに駐車スペースはないため、「ICから5分だから車を横付けできる」と考えると現地で困ります。
注意点として、周囲は完全な生活道路です。道幅が狭く、地元の車がふつうに行き交います。ナビの案内に従って細い道に入り込むと、切り返しに苦労することがあります。
駅からの徒歩ルートは南口方向へ|迷いやすい分岐は住宅街の入口
JR関ケ原駅から南へ徒歩8分。これが関ケ原観光ガイドが公表している所要時間です。実際には周辺を散策しながら歩く人が多く、現地ブログでは「徒歩20分」と紹介されているケースもあります。この差は、駅前からまっすぐ向かうか、東首塚など北側の史跡を先に見てから南下するかの違いと考えると腑に落ちます。
最短で向かうなら、駅を出て線路の南側に沿って進み、十九女池を目指すルートになります。歩道が細い区間があるので、小さな子ども連れの場合は手をつないで歩ける幅かどうかを都度確認しながら進んでください。
いちばん迷いやすいのが、住宅街に入ってからの最後の数十メートルです。陣跡の入口は公民館と民家のあいだにある細い通路になっており、大通りから見ると「私有地では」と感じるほど目立ちません。この通路を抜けた先の広場に石碑が立っています。入口を通り過ぎてしまう人が多いので、地図アプリのピンを頼りに、ゆっくり歩くのがコツです。
一人旅で史跡を丹念に追いかけたい人には、この「たどり着きにくさ」自体が楽しみになります。逆に、限られた時間で効率よく回りたい家族連れやツアー旅行の場合は、優先順位を下げてもよい史跡です。
現地にあるのは石碑と解説板のみ|見学10分、じっくり派で30分
覚悟しておいてほしいのは、現地に建物や展示施設はないという点です。あるのは「本多忠勝陣跡」と刻まれた石碑と、合戦当時の状況を説明する解説板だけ。売店も自動販売機もトイレもありません。
石碑を見て解説板を読むだけなら、滞在時間は10分ほどで足ります。ただし、すぐ東側にある十九女池のほとりまで足を延ばし、「東軍の中でも前寄りに置かれたこの位置から、忠勝は何を見ていたのか」と想像しながら歩くと、20〜30分は過ごせます。合戦当時、この一帯には池と湿地が広がっていたと考えられており、地形そのものが史料でもあります。
写真を撮る目的なら、石碑と背後の風景を一緒に収めるのがおすすめです。田畑と住宅が混在する現在の風景と、15万の兵が対峙した1600年9月15日のギャップこそが、この場所のいちばんの見どころだからです。
デメリットもはっきり書いておきます。雨天時は屋根がまったくないため、傘なしでは見学が成立しません。夏場は日陰もないので、滞在時間を短めに設計してください。
入場無料で24時間見学可能|それでも「静かに」が鉄則の理由
本多忠勝陣跡は入場無料、見学時間の制限もなく、開放されている史跡です。受付も券売機もないので、思い立ったときに立ち寄れます。この気軽さは、有料施設が中心の関ヶ原観光のなかでは貴重です。
ただし、大声での会話や長時間の駐車は避けてください。理由は単純で、この史跡が完全に住宅地の中にあるからです。入口は公民館と民家の軒先を通る形になっており、生活空間との距離がほとんどありません。早朝や夜間の訪問、複数人での賑やかな見学は、そのまま近隣の迷惑になります。
カップルや友人同士で訪れる場合も、記念撮影は手短に済ませるのが無難です。史跡がこの状態で保たれているのは地元の方の協力があってこそで、訪問マナーが直接その未来に関わります。
時間帯としては、平日の午前中がもっとも落ち着いて見学できます。土日は関ヶ原全体が混みますが、この陣跡に人が集中することはほとんどありません。むしろ「誰にも会わない史跡」として、静かな時間を過ごしたい一人旅にはよく合う場所です。
| 住所 | 〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原3441-1 |
| 見学時間 | 見学自由(施設・受付なし) |
| 入場料 | 無料 |
| 駐車場 | なし(岐阜関ケ原古戦場記念館の駐車場を利用) |
| アクセス | JR関ケ原駅から南へ徒歩8分/関ケ原ICより車で5分 |
| 参考情報 | 関ケ原観光ガイド(公式) |
57度の合戦で無傷だった男の正体|徳川四天王・本多忠勝という武将
石碑の前に立ったとき、「本多忠勝」という名前にどれだけの重みを感じられるかで、この史跡の価値は何倍にも変わります。ここでは陣跡を訪れる前に知っておきたい人物像を整理します。
敵に「家康に過ぎたるもの」と詠まれた武勇の中身
本多忠勝は1548年に生まれ、1610年に63歳で亡くなった武将です。酒井忠次・榊原康政・井伊直政と並ぶ「徳川四天王」の一人として、徳川家康の天下取りを軍事面から支え続けました。
その武勇を象徴するのが、武田方から詠まれたとされる「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」という落書です。「唐の頭」は舶来の兜飾りのことで、家康には身分不相応な立派なものが二つある、そのひとつが本多平八郎忠勝だ、という意味になります。敵方が名指しで武勇を認める記録が残ること自体、当時の評価の高さを物語ります。
武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いでは、撤退する本隊の最後尾を守る殿軍を務め、敵中を突破して戦場を離脱したと伝えられます。殿軍は全軍のなかで最も死傷率が高い役目で、そこを任されるのは信頼と実力の両方があってこそです。
ただし、これらの逸話は江戸期以降に編まれた記録に基づくものも多く、数字や描写が誇張されている可能性は否定できません。史跡めぐりでは「そう語り継がれてきた」という受け止め方をしておくのが健全です。
天下三名槍・蜻蛉切が語る、忠勝の戦い方
忠勝の愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」は、「御手杵(おてぎね)」「日本号」と並んで天下三名槍のひとつに数えられます。名前の由来には諸説ありますが、忠勝が槍を立てて休んでいたところ、穂先に止まったトンボが真っ二つに切れてしまった、という逸話が広く知られています。
槍という武器は、刀に比べて間合いが長く、集団戦での運用に向いています。忠勝が槍の名手として語られることは、彼が個人の武勇だけでなく、部隊を率いて敵陣を崩す戦い方を得意としていたことの裏返しでもあります。関ヶ原での動きを読み解くうえで、この点は意外に効いてきます。
刀剣に興味がある人なら、陣跡見学の前後に刀剣関連の展示を組み込むと満足度が上がります。歴史好きのカップル旅では、「三名槍のひとつを持っていた人の陣跡」という切り口があるだけで、石碑の前の会話が続きます。
注意しておきたいのは、蜻蛉切の実物が関ケ原町内で常設展示されているわけではないという点です。現地で槍そのものを見られると期待して行くと肩透かしになります。
小刀のかすり傷で死期を悟った|63年の生涯の締めくくり
本多忠勝を語るうえで外せないのが、生涯57度の合戦に出て一度もかすり傷を負わなかったという伝承です。数字の正確さには議論がありますが、これほど前線に出続けた武将が大きな負傷記録を残していないこと自体が、当時から驚きをもって語られていました。
そして晩年、小刀を使っていた際に指をかすかに切ってしまい、それをきっかけに自らの死期を悟ったという逸話が伝わっています。数日後に世を去ったとされ、「無傷の武将」という伝説を締めくくるにふさわしい話として、今も繰り返し語られます。
この逸話を知ってから陣跡に立つと、石碑の見え方が変わります。この場所に立っていた52歳の忠勝は、まだこのあと10年生きて、桑名の城下町をつくることになる——そういう時間の流れが重なって見えてきます。
史跡めぐりで歴史の知識を仕入れておく効果は、ここにあります。石碑は何も語りませんが、こちらに知識があれば、風景のほうが語り始めます。
📜 歴史メモ
関ヶ原の翌年、慶長6年(1601年)に本多忠勝は伊勢国桑名10万石へ移封されました。桑名では築城と同時に城下町と東海道の宿場整備を進め、後世「桑名藩創設の名君」と呼ばれます。武勇一辺倒の猛将像で語られがちですが、まちづくりの実務家でもあった——この二面性を知ってから陣跡に立つと、石碑の意味が少し変わって見えます。
「軍監」という肩書きの重み|忠勝が関ヶ原で担った本当の仕事

関ヶ原での本多忠勝を説明するとき、岐阜県の観光公式サイトも関ケ原観光ガイドも、そろって「軍監として参戦」と記しています。この一語を理解しているかどうかで、陣跡の解釈が変わります。
軍監は前線指揮官ではない|家康の目として全体を見る役
軍監とは、大将の名代として戦場全体を監督し、各部隊の働きを見届ける役目です。自分の兵を率いて敵陣に突っ込む役ではなく、戦況を把握して大将に伝え、必要なら独断で部隊を動かす、いわば現場責任者にあたります。
関ヶ原の東軍は、福島正則をはじめとする豊臣恩顧の大名が主力を占めていました。彼らは家康の直臣ではなく、いつ寝返るか分からない立場でもあります。そこに徳川譜代の重鎮を軍監として置くことで、諸大名の働きを監視し、同時に家康の意思を戦場に浸透させる。忠勝の配置には、そういう政治的な意味が込められていました。
この視点で陣跡の位置を見直すと、納得がいきます。忠勝の陣は駅の南側、東軍布陣のなかでも比較的前方に置かれていました。後方でふんぞり返る監督役ではなく、戦況に手が届く距離にいたということです。
史跡めぐりの注意点として、現地の解説板だけでこの背景まで読み取るのは困難です。事前に「軍監とは何か」を仕込んでから行くと、10分の見学が濃くなります。
少ない手勢で90の首級|数字が示す忠勝隊の異常さ
関ヶ原での本多忠勝隊については、わずかな手勢でありながら90もの首級を挙げたと伝えられています。軍監という「見届ける役」であるはずの人物の隊が、これだけの戦果を記録しているという点が、この人物の異様さです。
首級の数は戦功を測る当時の指標で、後世の記録では膨らむこともあります。ただ、東軍の主力大名が競って戦功を主張したなかで、忠勝の名がしっかり残っていること自体は、現場で相応の働きがあったと考える根拠になります。
陣跡の広場に立ったとき、「ここに何百人という兵がいて、そこから戦場へ出ていった」と想像してみてください。現在の広場はごく小さなスペースですが、当時の陣所は周辺一帯に広がっていたはずで、石碑はあくまでその中心を示す記号にすぎません。
ここで気をつけたいのが、石碑の位置=陣の全域と誤解しないことです。関ヶ原の陣跡は、後世に建てられた石碑が象徴的に位置を示しているだけのケースがほとんどで、実際の陣地の広がりは石碑周辺の地形から推測するしかありません。
島津の退き口で馬を撃たれた|最終盤の乱戦に巻き込まれた軍監
関ヶ原の終盤、西軍の島津義弘隊は、敗色濃厚のなか撤退ではなく敵中突破という選択をしました。これが「島津の退き口」です。小部隊を残して追撃を食い止めながら本隊を逃がす「捨て奸(すてがまり)」という戦術が使われたと伝わり、関ヶ原全体のなかでも屈指の激戦として知られます。
このとき忠勝は、松平忠吉・井伊直政の隊が対戦していた島津隊に向かって進撃し、ともに戦ったと記録されています。そして追撃の最中、忠勝の馬が狙撃されて足を止められたと伝わります。生涯無傷とされる武将が、それでも馬を撃たれるほどの至近距離の銃撃にさらされた——それが関ヶ原の最終盤でした。
同じ場面で、井伊直政は島津方の銃撃で深手を負っています。この傷が原因となり、直政は2年後に世を去ったとされます。同じ戦場、同じ追撃、片方は馬を失っただけで済み、片方は命を落とすことになった。運という言葉では片づけにくい対比です。
ここが本多忠勝陣跡を訪れる際の勘所です。石碑が立つ場所は静かな住宅地ですが、そこから北へ数百メートル進んだ一帯で、この乱戦が起きていました。歩いて移動できる距離のなかに、複数の史跡が点在しています。
実は「地味な陣跡」ほど合戦の実像に近い
意外と知られていませんが、関ヶ原の陣跡めぐりで満足度が高いのは、整備の行き届いた有名史跡ばかりではありません。本多忠勝陣跡のように、住宅と田畑に埋もれた石碑のほうが、当時の関ヶ原の姿に近いという見方ができます。
1600年の関ヶ原は観光地ではなく、人が住み、田を耕していた盆地でした。合戦はその生活空間のなかで起きています。展望台や記念館から俯瞰する視点も大切ですが、生活道路を歩き、民家の脇を抜けて石碑にたどり着く体験のほうが、当時この地で何が起きたのかという実感には近づけます。
だからこそ、この陣跡は「ついでに寄る場所」ではなく、時間を取って向き合う価値があります。有名史跡だけを駆け足で回るプランに、あえて1か所だけ地味な陣跡を混ぜてみる。この組み立て方は、二度目・三度目の関ヶ原訪問でとくに効きます。
ただし、初めての関ヶ原でいきなりここから始めるのはおすすめしません。全体像を掴んでいないと、石碑の前で「で、何を見ればいいのか」となりがちだからです。順番には意味があります。
陣跡めぐりを始める前に、岐阜関ケ原古戦場記念館(一般500円)の5階展望室に上がって関ヶ原盆地を見渡しておくと、その後の史跡が一気につながります。どの山にどの武将が陣を敷いたのかを立体的に把握してから地上を歩く。この順番だけで、石碑の前で立ち尽くす時間がなくなります。
車で来た人が必ずつまずく駐車場問題|路上駐車をしないための正解
ここからは実務の話に戻ります。関ヶ原は車社会のエリアで、来訪者の多くがマイカーかレンタカーです。そして本多忠勝陣跡は、その車での訪問がいちばん噛み合わない史跡でもあります。
陣跡に駐車場はない|これが最大の落とし穴
単刀直入に書きます。本多忠勝陣跡に専用駐車場はありません。現地を実際に訪ねた記録でも「残念ながら駐車場がありません」と明記されており、石碑の周辺に車を停められるスペースは用意されていないのが実情です。
ここで起きがちな失敗が、路肩への駐車です。「10分で戻るから」と細い生活道路に車を停めると、地元の方の通行を妨げます。この一帯は道幅が狭く、対向車がすれ違うのもぎりぎりという区間があるため、路肩に1台停まっているだけで通行に支障が出ます。史跡が今の形で開放されているのは近隣の理解があってこそで、この一手が将来の見学環境を狭めかねません。
対策はシンプルで、「陣跡には車で乗り付けない」と最初から決めておくことです。少し離れた場所に駐車し、歩いてアクセスする前提で行程を組む。これだけで問題は消えます。
特に注意したいのが、レンタカーでカーナビ任せに走るケースです。目的地を「本多忠勝陣跡」に設定すると、当然ながら石碑の位置まで案内されます。ナビが到着を告げた場所に停められる保証はない、と覚えておいてください。
本多忠勝陣跡は住宅地の中にあり、入口は公民館と民家のあいだの細い通路です。カーナビで直行すると、停車も転回もできない道に入り込むことがあります。車で訪れる場合は、岐阜関ケ原古戦場記念館(駐車場100台)などに停めてから徒歩で向かうプランに切り替えてください。
拠点は岐阜関ケ原古戦場記念館の100台駐車場が正解
車での関ヶ原観光でもっとも確実な拠点が、岐阜関ケ原古戦場記念館です。駐車場は100台分あり、北側・南側の2か所に分かれています。ここに車を置いて、周辺の史跡を徒歩やレンタサイクルで回るのが定番の組み立て方になります。
記念館そのものも立ち寄る価値があります。入館料は一般500円、大学生・高校生300円、中学生以下は無料。開館時間は9:30〜17:00(入館は16:30まで)です。1階には床面スクリーンのグラウンド・ビジョンとシアターがあり、5階の展望室からは関ヶ原一帯を見渡せます。
ひとつ運用上の注意があります。1階の映像展示は前日までの事前予約が優先されます。予約がなくても2階・5階には入館できますが、映像展示を目当てにするなら公式サイトから枠を押さえておくのが安全です。ドライブ旅で「着いてから決める」スタイルだと、映像展示だけ見られないという事態が起こり得ます。
休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌日)と12月29日〜1月3日。なお、秋の企画展期間(10月6日〜11月23日)は入館料が一般1,000円、大学生・高校生800円に変わります。予算を組むときは訪問時期を確認してください。
徒歩・レンタサイクル・車、3つの回り方を数字で比べる
関ヶ原の史跡は広い盆地に点在しており、移動手段の選択が満足度を大きく左右します。本多忠勝陣跡は駅の南、笹尾山は駅の北へ徒歩20分と、方向も距離もばらけているためです。
結論としては、史跡を4か所以上まわるならレンタサイクル、2〜3か所なら徒歩、家族連れで小さな子どもがいるなら車を拠点にした徒歩併用、という使い分けになります。以下に、ぎふ旅手帖でまとめた比較を載せます。
| 比較項目 | 徒歩 | レンタサイクル | マイカー |
|---|---|---|---|
| 費用の目安 | 0円 | 半日660円〜 | 燃料費のみ |
| 本多忠勝陣跡への適性 | ◎ 徒歩8分 | ◎ 数分 | × 駐車場なし |
| 笹尾山(駅北)への適性 | △ 徒歩20分 | ◎ 楽に到達 | ◎ 駐車場20台 |
| 雨天・猛暑への強さ | × | × | ◎ |
| 小さな子ども連れ | △ | △ | ◎ |
※料金は関ケ原駅前観光交流館のレンタサイクル料金、駐車台数は各施設公表値をもとにぎふ旅手帖が整理(2026年8月時点)
駅前でレンタサイクルを借りるという第三の選択肢
電車で来る人にも、車を記念館に置いた人にも使えるのが、JR関ケ原駅前の関ケ原駅前観光交流館「いざ、関ケ原」のレンタサイクルです。普通自転車が半日660円・1日1,210円、電動アシスト付きが半日1,210円・1日2,310円(いずれも税込)。関ヶ原は緩やかな起伏があるので、笹尾山まで足を延ばすなら電動アシストを選ぶと体力の消耗がまったく違います。
交流館そのものは入館無料で、観光案内の拠点として使えます。営業時間は3月〜11月が9:00〜17:00、12月〜2月が9:00〜16:30。定休日は火曜日(祝祭日の場合は翌平日)と12月29日〜1月3日です。駐車場は7台と小規模なので、車で直接乗り付けるより、記念館に停めて駅前まで歩く前提のほうが確実です。
使い方としては、午前中に自転車を借りて北側の史跡(東首塚・決戦地・笹尾山)を回り、午後に南側の本多忠勝陣跡へ、という流れが効率的です。カップル旅や友人同士なら、自転車で盆地を横断する時間そのものが旅の記憶になります。
注意点は返却時間です。3月〜11月の貸出は16:30まで、最終返却は17:00。12月〜2月は貸出16:00まで、最終返却16:30と早まります。夕方に「もう1か所」と欲張ると返却に間に合わないので、逆算して動いてください。
| 住所 | 〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原598-4 |
| 電話番号 | 0584-43-1100 |
| 営業時間 | 9:00〜17:00(3月〜11月)/9:00〜16:30(12月〜2月) |
| 定休日 | 火曜日(祝祭日の場合は翌平日)、12/29〜1/3 |
| 料金 | 入館無料/レンタサイクル 普通半日660円・1日1,210円、電動アシスト半日1,210円・1日2,310円 |
| 駐車場 | あり(7台) |
| 参考情報 | 関ケ原観光ガイド(公式) |

「関ヶ原に着いたはいいけれど、まず何をどこから見ればいいの?」——JR関ケ原駅に降り立った旅行者の多くが、最初に立ち止まる場所です。天下分け目の合戦の舞台は驚く…
石碑めぐりを立体にする東軍史跡4か所|歩いて回れる距離にある
本多忠勝陣跡だけを見て帰るのは、関ヶ原の楽しみ方としてはもったいない使い方です。ここでは、駅周辺から歩いて回れる東軍側の史跡を4か所、住所つきで紹介します。すべて入場無料です。
松平忠吉・井伊直政陣跡|午前8時、ここから合戦が始まった
JR関ケ原駅から西へ徒歩3分。東首塚の敷地の東隅にあるのが、松平忠吉・井伊直政陣跡です。関ヶ原の戦いの火蓋を切った場所として知られています。
合戦当日、東軍の先鋒は福島正則隊と決められていました。ところが午前8時頃、井伊直政と、直政の娘婿で初陣だった松平忠吉が、停止の指示を無視して宇喜多隊に発砲。これが開戦の合図になったと伝えられます。抜け駆けと言えば抜け駆けですが、徳川の一門が最初の一発を撃ったという事実は、その後の論功行賞にも影響しました。
そして前述のとおり、直政はこの日の終盤、島津隊を追撃した際に深手を負います。本多忠勝が馬を撃たれたのと同じ場面です。忠勝の陣跡と直政の陣跡を続けて訪ねると、関ヶ原最終盤の一場面が二つの石碑で語られていることに気づきます。
注意点として、この陣跡は大正時代に現在地へ移設されたもので、もともとは東首塚の200mほど東にありました。石碑の立つ位置が当時の陣そのものではない、という前提で見ると誤解がありません。
| 住所 | 〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原908-3 |
| 見学時間 | 見学自由 |
| 入場料 | 無料 |
| アクセス | JR関ケ原駅より西へ徒歩3分 |
| 参考情報 | 関ケ原観光ガイド(公式) |

東首塚|敵味方を分け隔てなく弔った、朱色の門の奥
松平忠吉・井伊直政陣跡と同じ敷地にあるのが東首塚です。JR関ケ原駅から北へ徒歩3分、跨線橋を渡ると左手に広葉樹の森が見え、その中にあります。朱色の大きな門をくぐった奥に、スダジイの大木が茂る塚があります。
ここは、関ヶ原の戦いで戦死した将兵を葬った塚です。家康の首実検が行われた後、この地の領主だった竹中重門が、東軍・西軍の区別なく戦死者を埋葬したと伝えられています。勝った側だけを弔うのではなく、敵方の将兵も同じ塚に葬った——この事実が、関ヶ原という土地の記憶の質を決めています。
駅から徒歩3分という近さなので、電車で来た人が最初に立ち寄る史跡として最適です。所要は15分ほど。木立に囲まれているため夏でも比較的涼しく、猛暑日の関ヶ原歩きでは貴重な休憩ポイントにもなります。
マナーの面では、ここが墓所であることを意識してください。撮影自体は問題ありませんが、賑やかに騒ぐ場所ではありません。国指定史跡でもあり、供養の場としての性格が今も生きています。
| 住所 | 〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原908-3 |
| 見学時間 | 見学自由 |
| 入場料 | 無料 |
| 駐車場 | あり |
| アクセス | JR関ケ原駅より北へ徒歩3分 |
| 参考情報 | 関ケ原観光ガイド(公式) |
徳川家康最後陣跡(床几場)|問鉄砲と首実検の舞台
JR関ケ原駅から徒歩10分、陣場野公園の中にあるのが徳川家康最後陣跡、通称「床几場(しょうぎば)」です。関ヶ原の東軍史跡のなかでも、歴史的な密度がもっとも高い場所と言えます。
合戦当日の午前11時頃、家康は戦況が把握しきれないことから、朝に陣を置いた桃配山からこの地へ本陣を前進させました。そしてここから、松尾山に陣取って動かない小早川秀秋に向けて発砲を命じたとされます。これが東軍勝利の分岐点になったと語られる「問鉄砲(といでっぽう)」です。
合戦終了後、この床几場では首実検が行われました。土壇の中央には「床几場 徳川家康進旗験馘處」と刻まれた標柱が建っています。昭和6年3月30日に国指定史跡となった、格の高い場所です。
注意点は駐車場がないことです。近隣の岐阜関ケ原古戦場記念館の駐車場を使う前提で行程を組んでください。記念館から歩ける距離なので、記念館とセットで見るのがもっとも自然な回り方になります。
| 住所 | 〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原959-2 |
| 見学時間 | 見学自由 |
| 入場料 | 無料 |
| 駐車場 | なし(近隣に岐阜関ケ原古戦場記念館の駐車場あり) |
| アクセス | JR関ケ原駅より徒歩10分 |
| 参考情報 | 関ケ原観光ガイド(公式) |
桃配山・徳川家康最初陣跡|壬申の乱にあやかった縁起担ぎ
家康が合戦当日の早朝、赤坂から兵を移して最初に陣を敷いたのが桃配山です。国道21号の一ツ軒交差点から東へ200m。8台分の駐車場があるため、東軍史跡のなかでは車での立ち寄りやすさが際立っています。
この山が選ばれた理由が面白いところです。桃配山は、関ヶ原合戦から約930年前の壬申の乱で、勝者となった大海人皇子が陣を敷いたと伝わる場所。兵士に山桃を配ったことが山名の由来とされ、家康はその縁起を担いでここに陣を置いたといわれています。天下分け目の戦いの朝、総大将が験を担いでいた——人間味のあるエピソードです。
山中には、家康が使ったと伝わる腰掛石と机石が現存しています。国道沿いの階段を登って2分ほどの山腹なので、体力的な負担はほとんどありません。昭和6年に国の史跡名勝天然記念物に指定されています。
注意点は、駐車場が国道を挟んで登り口の反対側にあることです。国道21号は交通量が多いので、横断の際は十分に気をつけてください。家族連れの場合は、子どもの手を離さないようにしたい場所です。
| 住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字野上1424-1 |
| 見学時間 | 見学自由 |
| 入場料 | 無料 |
| 駐車場 | あり(8台) |
| アクセス | 国道21号 一ツ軒交差点より東へ200m |
| 参考情報 | 関ケ原観光ガイド(公式) |
西軍側まで足を延ばすと合戦が立体になる|決戦地・笹尾山と2つの資料館
東軍の陣跡だけを追いかけると、関ヶ原は「勝った側の物語」で終わってしまいます。盆地の北側にある西軍の史跡と、2つの資料館まで組み込むと、合戦の全体像が一気に立体になります。
決戦地|最激戦地の真ん中に立つ大きな石碑
JR関ケ原駅から北へ徒歩20分。田園のただ中に「関ケ原古戦場 決戦地」の大きな石碑が立ち、徳川家と石田家の家紋入りの旗がはためいています。所在地は関ケ原町大字関ケ原1202、入場無料です。
この一帯は、1600年9月15日の合戦で最大級の激戦が繰り広げられた場所とされています。小早川秀秋の寝返りによって西軍が一気に劣勢となり、東軍の諸隊が石田三成の首級を目指して押し寄せた。その最前線が、いま田んぼが広がっているこの場所です。国指定史跡に含まれています。
駐車場は決戦地自体にはありません。笹尾山・石田三成陣跡の駐車場(20台)に停めて、徒歩3分で向かうのが公式に案内されている動線です。徒歩で駅から向かう場合、行き20分・帰り20分がかかるので、往復の時間を必ず行程に入れてください。
景色としては、遮るものがない開けた場所です。写真映えする一方、日陰がまったくないため、夏場の正午前後は滞在時間を絞る判断が必要になります。

「関ヶ原の戦い布陣図を見ると西軍のほうが有利そうなのに、なぜ負けたの?」——歴史好きなら誰もが一度は抱く疑問です。教科書に載っている布陣図は、東軍を三方から囲む…
笹尾山・石田三成陣跡|標高164mから戦場全体を見下ろす
決戦地から徒歩3分の位置にあるのが、笹尾山・石田三成陣跡です。標高164mの丘陵で、山麓の駐車場から数分登ると山頂の展望台に着きます。所在地は関ケ原町大字関ケ原4008、入場無料、駐車場は20台分。
ここに立つと、石田三成が何を見ていたのかが体感でわかります。関ヶ原盆地が一望でき、松尾山も見渡せる。小早川秀秋が動かないことに三成が焦れたという話が、この視界のなかで具体的な意味を持ちます。関ヶ原で「登る価値がある場所」を1つだけ挙げるなら、ここです。
山麓には笹尾山交流館があり、休憩所や売店が利用できます。決戦地・笹尾山は駅から離れているため、自動販売機やトイレの位置を把握しておくと安心です。徒歩やレンタサイクルで回る人にとって、この交流館の存在は行程設計上のポイントになります。
注意点は、山頂までの道が土や階段であることです。歩きやすい靴で来てください。雨の翌日はぬかるむこともあります。ヒールやサンダルでの訪問は避けたい場所です。
岐阜関ケ原古戦場記念館|500円で全体像を先に掴む
関ヶ原観光の中心施設が、岐阜関ケ原古戦場記念館です。所在地は関ケ原町関ケ原894-55、JR関ケ原駅から徒歩約10分。入館料は一般500円、大学生・高校生300円、中学生以下は無料です。
おすすめの使い方は、史跡めぐりの「前」に入ることです。5階の展望室から関ヶ原盆地を見渡すと、笹尾山・松尾山・南宮山といった各武将の陣地の位置関係が一目で入ります。この地理感覚を持ってから地上の陣跡を回ると、石碑の前で読む解説板の意味が段違いに理解しやすくなります。1階のグラウンド・ビジョンとシアターも、合戦の流れを掴むのに役立ちます。
行程上の注意が2つあります。1つは休館日で、毎週月曜日(祝日の場合は翌日)と12月29日〜1月3日。もう1つは1階映像展示の事前予約制で、前日までの予約が優先されます。予約なしでも2階・5階は入館できるので、「展望室だけでも十分」と割り切る選択もあります。
予算面では、秋の企画展期間(10月6日〜11月23日)に入館料が一般1,000円、大学生・高校生800円へ変わる点を押さえておいてください。紅葉シーズンに合わせて訪れる家族連れは、人数分で差が出ます。
| 住所 | 〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55 |
| 電話番号 | 0584-47-6070 |
| 開館時間 | 9:30〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日 | 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、12/29〜1/3 |
| 入館料 | 一般500円/大学生・高校生300円/中学生以下無料(秋季企画展期間10/6〜11/23は一般1,000円・大学生・高校生800円) |
| 駐車場 | あり(100台) |
| 公式サイト | 岐阜関ケ原古戦場記念館 公式サイト |
関ケ原町歴史民俗学習館|入館無料で郷土史まで踏み込める穴場
記念館の隣にありながら見落とされがちなのが、関ケ原町歴史民俗学習館です。所在地は関ケ原町大字関ケ原894-28、JR関ケ原駅から徒歩8分。入館料は無料です。
2020年10月にリニューアルした施設で、開館時間・休館日は岐阜関ケ原古戦場記念館に準じます。つまり9:30〜17:00(入館は16:30まで)、月曜休館(祝日の場合は翌日)、年末年始休みという運用です。記念館とまとめて訪ねる前提で行程を組むと無駄がありません。
使いどころは、関ヶ原の戦い以外の関ケ原を知りたいときです。合戦一色になりがちな関ヶ原ですが、この土地には壬申の乱の記憶も、中山道の宿場としての歴史も、生活の営みもあります。二度目の関ヶ原訪問や、一人旅でじっくり時間を使える人には、記念館より刺さる可能性がある場所です。
注意点として、無料施設のため展示規模は記念館ほど大きくありません。「無料だから」と期待値を上げすぎず、記念館の補完として位置づけるのが正しい向き合い方です。
| スポット | 料金 | 駐車場 | 駅からの徒歩 |
|---|---|---|---|
| 本多忠勝陣跡 | 無料 | なし | 南へ8分 |
| 松平忠吉・井伊直政陣跡 | 無料 | 記載なし | 西へ3分 |
| 東首塚 | 無料 | あり | 北へ3分 |
| 徳川家康最後陣跡 | 無料 | なし | 10分 |
| 決戦地 | 無料 | なし(笹尾山P) | 北へ20分 |
| 笹尾山・石田三成陣跡 | 無料 | 20台 | 北へ20分 |
| 岐阜関ケ原古戦場記念館 | 一般500円 | 100台 | 約10分 |
| 関ケ原町歴史民俗学習館 | 無料 | 記載なし | 8分 |
※各施設・史跡の公表情報をもとにぎふ旅手帖が整理(2026年8月時点)
季節と時間帯で変わる快適度|旅のスタイル別・陣跡めぐりプラン
関ヶ原の史跡めぐりは、そのほとんどが屋外です。つまり、いつ行くかで体感がまったく変わります。ここでは季節・時間帯の注意点と、旅のスタイル別の組み立て方を整理します。
夏の関ヶ原は日陰がない|熱中症対策を軽く見た人がつまずく
関ヶ原の陣跡めぐりで最も多い失敗が、夏の日差しを甘く見ることです。決戦地は田園のただ中で遮るものがなく、本多忠勝陣跡にも日陰はほとんどありません。笹尾山は登りが加わります。この3か所を真夏の日中に続けて歩くと、想像以上に消耗します。
原因は、関ヶ原が「盆地の平地を歩く観光地」だという点にあります。神社仏閣めぐりのように木立の下を歩くわけではなく、屋外の直射日光下を移動し続ける構造です。対策は3つ。帽子と日傘を持つ、飲み物を出発前に確保する、そして真昼の時間帯は記念館や歴史民俗学習館という屋内施設に充てる。この3つで大きく変わります。
陣跡には自動販売機がありません。飲み物は駅前かコンビニで確保してから歩き出してください。木立に囲まれた東首塚と、休憩所のある笹尾山交流館が、数少ない休憩ポイントになります。
逆に、快適に歩けるのは春と秋です。とくに10月〜11月は気候が安定し、記念館の秋季企画展の時期とも重なります。ただし入館料が上がる期間でもあるので、予算と快適さのバランスで判断してください。
ドライブ旅・家族連れ・カップル・一人旅、4通りの回り方
関ヶ原は、旅のスタイルによって最適解が変わる場所です。まずドライブ旅なら、岐阜関ケ原古戦場記念館の100台駐車場に車を置き、記念館と床几場を徒歩で回ってから、車で桃配山(駐車場8台)と笹尾山(駐車場20台)へ移動する流れが効率的です。本多忠勝陣跡は駐車場がないため、記念館から歩く区間に組み込みます。
家族連れ、とくに小学生以下の子どもがいる場合は、車を拠点に「記念館+東首塚+笹尾山」の3か所に絞るのが現実的です。徒歩20分の移動は子どもには長く、真夏なら特に厳しくなります。中学生以下は記念館が無料という点も効いてきます。
カップル旅には、駅前でレンタサイクルを借りて盆地を横断するプランが向いています。電動アシスト付きなら1日2,310円。笹尾山の展望台から関ヶ原を見下ろす時間が、この旅のハイライトになります。
そして一人旅なら、本多忠勝陣跡のような静かな史跡にこそ時間を使ってください。誰にも会わない石碑の前で、軍監として戦場を見渡していた武将のことを考える。この贅沢は、団体行動では味わえません。
月曜と年末年始は屋内施設が閉まる|行程を組む前に確認を
もうひとつ、行程設計でつまずきやすいのが休館日です。岐阜関ケ原古戦場記念館と関ケ原町歴史民俗学習館は、どちらも毎週月曜日(祝日の場合は翌日)と12月29日〜1月3日が休みです。関ケ原駅前観光交流館は火曜日(祝祭日の場合は翌平日)と12月29日〜1月3日が定休。曜日がずれている点に注意してください。
つまり月曜に関ヶ原を訪れると、屋内施設が2つとも閉まっている状態になります。石碑や陣跡は見学自由なので旅そのものは成立しますが、「全体像を掴んでから歩く」という一番効率のいい順番が使えません。雨天の月曜となると、逃げ込む屋内施設もない状況になります。
逆に火曜は、記念館と学習館は開いているものの、駅前交流館が休みでレンタサイクルの選択肢が1つ減ります。記念館側でもレンタサイクルの取り扱いがありますが、行く前に公式情報で確認しておくと確実です。
おすすめは、水曜〜金曜の平日です。屋内施設がすべて開いており、土日ほど混雑しません。本多忠勝陣跡のような静かな史跡を落ち着いて見学するなら、この曜日設定が最も相性がよくなります。
よくある疑問に先回りで答えます
もうひとつよく聞かれるのが、所要時間の見積もりです。本多忠勝陣跡単体なら10分、十九女池まで含めて20〜30分。周辺の東軍史跡4か所をあわせて回るなら、徒歩で2時間半〜3時間を見ておくと余裕があります。記念館の見学を加えるなら、さらに1時間〜1時間半を足してください。
服装については、歩きやすい靴が絶対条件です。笹尾山に登るなら特にそうですし、陣跡周辺も舗装されていない部分があります。夏は帽子、冬は防寒具。関ヶ原は伊吹山からの風が抜ける土地で、冬場は体感温度が下がります。
📝 ポイントまとめ
- 本多忠勝陣跡は駅から南へ徒歩8分・入場無料・専用駐車場なし
- 車なら岐阜関ケ原古戦場記念館(100台)を拠点に徒歩でアクセス
- 記念館の展望室で全体像を掴んでから地上の史跡を回ると理解が深まる
- 記念館・学習館は月曜休、駅前交流館は火曜休で曜日がずれている
- 屋外史跡が中心のため夏は日除け・飲み物・屋内施設との併用が必須
まとめ|本多忠勝陣跡は「知識を持って行く人」にだけ応える史跡
本多忠勝陣跡は、観光地としての親切さで言えば決して高得点の場所ではありません。駐車場はなく、施設もなく、入口は住宅の脇の細い通路。それでも、この石碑を訪ねる価値があるとすれば、それは「予備知識を持って立てば、風景が語り出す」タイプの史跡だからです。
徳川四天王の一人として57度の合戦を無傷で駆け抜けた武将が、天下分け目の日に軍監として立っていた場所。少ない手勢で90の首級を挙げ、島津の退き口の追撃では馬を撃たれた。同じ場面で井伊直政は致命傷を負い、2年後に世を去りました。そうした知識を持って石碑の前に立つと、静かな住宅地の風景が、1600年9月15日の記憶と重なります。
回り方の結論はシンプルです。まず岐阜関ケ原古戦場記念館(一般500円・駐車場100台)に車を置き、5階の展望室で盆地全体を頭に入れる。そこから徒歩で床几場、東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡と回り、駅の南側へ抜けて本多忠勝陣跡へ。時間と体力があれば、レンタサイクルで決戦地と笹尾山まで足を延ばす。これで関ヶ原の東軍・西軍双方の視点が揃います。
最初の一歩としておすすめしたいのは、訪問予定日の曜日を確認することです。月曜だと記念館と歴史民俗学習館が休館、火曜だと駅前観光交流館が休み。水曜から金曜の平日を選べば、すべての施設が開いていて、土日ほど混みません。曜日を決めたら、記念館の1階映像展示の予約枠を前日までに押さえる。この2つを済ませておけば、当日の関ヶ原歩きは驚くほどスムーズに進みます。
石碑ひとつの前で、何を思い浮かべられるか。関ヶ原という土地の面白さは、結局そこに尽きます。行く前に少しだけ武将のことを調べておく——その手間が、この旅のすべてを変えます。
※料金・営業時間・休館日は変更される場合があります。おでかけ前に関ケ原観光ガイド(公式)や岐阜関ケ原古戦場記念館 公式サイトで最新情報をご確認ください。

コメント