稲葉山城はなぜ「岐阜」になった?|道三と信長が奪い合った金華山の城を徹底解説

稲葉山城はなぜ「岐阜」になった?|道三と信長が奪い合った金華山の城を徹底解説のアイキャッチ画像

「稲葉山城って、いまはもう無いの?」「岐阜城とは違うお城なの?」——戦国史を少しかじると、必ずぶつかるのがこの疑問です。結論からお伝えすると、稲葉山城と岐阜城は同じ金華山の山頂にあった、同じ城。織田信長が名前を「岐阜」に改めたことで、稲葉山城という呼び名が歴史の表舞台から消えていったのです。

この城は、斎藤道三が国盗りの拠点とし、若き軍師・竹中半兵衛がわずか十数人で乗っ取り、信長が「天下布武」への一歩を踏み出した——戦国屈指のドラマが凝縮された舞台でもあります。標高329メートルの金華山にそびえる姿は「難攻不落」と語り継がれ、いまも岐阜市街のどこからでも見上げられます。

この記事では、岐阜に何度も足を運んでいる旅好きの目線で、稲葉山城の歴史の流れ、名前の由来、竹中半兵衛や信長のエピソード、そして現在「岐阜城」として城跡をめぐる際のアクセス・料金・注意点まで、まるごと案内します。天守閣が改修工事で休館中という最新事情も含めてお届けします。

📌 この記事でわかること

・稲葉山城と岐阜城の関係と、城が歩んだ約400年の歴史
・斎藤道三・竹中半兵衛・織田信長をめぐる戦国ドラマの舞台裏
・現在の金華山・岐阜城へのアクセス、ロープウェー料金、駐車場情報
・天守閣休館中でも楽しめる城下めぐりとシーン別の歩き方

目次

稲葉山城とは?金華山にそびえた「難攻不落」の山城の正体

稲葉山城とは?金華山にそびえた「難攻不落」の山城の正体の解説画像

まずは稲葉山城がどんな城だったのか、全体像をつかんでおきましょう。この城を理解すると、岐阜という土地が戦国時代にいかに重要だったかが見えてきます。

稲葉山城は「岐阜城の前の名前」だった

稲葉山城とは、現在の岐阜城とまったく同じ、金華山山頂に築かれた城のことです。織田信長が1567年にこの城を手に入れ、地名の「井口(いのくち)」を「岐阜」と改めたときに、城の呼び名も稲葉山城から岐阜城へと変わりました。つまり「稲葉山城=信長以前の呼び名」「岐阜城=信長以降の呼び名」と覚えると、混乱しません。旅行者の間では「岐阜城の歴史を調べていたら稲葉山城が出てきて戸惑った」という声をよく聞きますが、両者は別物ではなく、同じ城の時代違いの姿なのです。歴史好きが金華山を訪れると、麓の案内板に両方の名前が併記されているのに気づくはずです。ひとつ注意したいのは、現在山頂に建つ天守は当時の建物ではなく、昭和に再建された復興天守だという点。当時の稲葉山城の姿は絵図や発掘調査からしか知ることができません。

標高329メートルの金華山が生んだ天然の要害

稲葉山城が「難攻不落」と呼ばれた最大の理由は、標高329メートルの金華山という地形そのものにあります。急峻な岩山の頂に城を置いたことで、大軍で攻めても隊列を組めず、寄せ手は細い山道を一列で登るしかありませんでした。眼下には長良川と濃尾平野が広がり、東西を行き交う敵の動きが一望できる——攻めるに難く、守るに易い理想的な立地だったのです。現代でも麓から山頂までは徒歩でおよそ1時間の登山コース。歴史を体感したい健脚派には登山道が人気ですが、真夏や雨天は無理をせずロープウェーを使うのが無難です。運動靴は必須で、サンダルや革靴での登城は捻挫のもとになります。

なぜ岐阜が「天下取りの拠点」と呼ばれたのか

信長がこの城に固執したのは、岐阜が日本の交通の要衝だったからです。中山道と東海道を結ぶ位置にあり、長良川の水運も使える。京へ攻め上るにも、東国ににらみを利かせるにも、これ以上ない拠点でした。信長は美濃平定後すぐに本拠を尾張の小牧山から岐阜へ移し、ここから上洛作戦を展開します。旅の視点で言えば、名古屋から電車で約20分、車でも岐阜各務原ICから市街まで15分ほどという現在のアクセスの良さは、戦国時代の地の利がそのまま残っている証しでもあります。ただし週末の岐阜公園周辺は観光客と地元の散策客で駐車場が混み合うため、午前中の到着をおすすめします。

📜 歴史メモ

「稲葉山」の名は、鎌倉時代にこの山を支配した一族が「稲葉氏」を名乗ったことに由来すると伝わります。山そのものが金の華のように輝いて見えることから「金華山」とも呼ばれ、ふたつの名が今も併存しています。

二階堂行政から斎藤道三へ|城の名前が「稲葉山」になった意外な理由

稲葉山城の歴史は、信長よりもずっと前、鎌倉時代までさかのぼります。ここでは城の起源と、”美濃のマムシ”斎藤道三が築いた基礎を追いかけます。

始まりは1201年、鎌倉幕府の重臣が築いた砦

稲葉山城の起源は、1201年(建仁元年)に鎌倉幕府の政所執事・二階堂行政が金華山に砦を築いたことにあるとされています。当初は本格的な城郭ではなく、井口の山を見張る簡素な砦だったと考えられています。その後、行政の子孫や稲葉氏がこの地を治め、山の名が「稲葉山」として定着していきました。歴史書に「稲葉山城」という名がはっきり現れるのは戦国期に入ってからで、それ以前の姿は史料が乏しく謎に包まれています。城好きにとっては、こうした「わからなさ」こそロマンの源。金華山の登山道には中世の削平地の跡が残る場所もあり、往時をしのびながら歩くと、ただの山道が急に意味を持って見えてきます。ただし城郭遺構は風化が進み、標識のない場所も多いので、見学は無理に藪へ入らず整備された道を歩きましょう。

“美濃のマムシ”斎藤道三が城を大改修した1539年

稲葉山城を戦国の名城へと押し上げたのが、下剋上の代名詞・斎藤道三です。道三は1539年(天文8年)ごろから稲葉山の山頂に本格的な城づくりを始め、麓には居館を構えて城下町を整えました。この大改修が、後の岐阜城の原型になったとされています。油売りの行商人から身を起こし、美濃一国を奪い取ったという道三の”国盗り”は、後世に脚色されつつも語り継がれる痛快な物語。城下を整備して商人を呼び込み、経済力で国を固めるという発想は、のちに信長が受け継ぐ手法でもありました。歴史ドラマのファンなら、道三と娘・帰蝶(濃姫)、そして婿となった信長の関係を思い浮かべながら金華山を見上げると、感慨もひとしおです。

道三の娘・濃姫が信長に嫁ぎ、城は歴史の焦点に

道三は娘の帰蝶(濃姫)を、尾張のうつけと呼ばれた織田信長に嫁がせます。この政略結婚が、のちに稲葉山城が信長の手に渡る伏線となりました。道三は早くから信長の器量を見抜いていたと伝わり、有名な「聖徳寺の会見」で信長の非凡さに感服したという逸話も残ります。しかし道三は晩年、息子・義龍との争いに敗れて命を落とし、美濃は動乱の時代へ突入します。こうした人間ドラマの舞台を実際に歩けるのが岐阜の魅力。道三ゆかりの地は金華山だけでなく市内各所に点在しているので、時間があれば足を延ばしてみてください。

あわせて読みたい
鷺山城跡は道三と濃姫の運命が交差した丘|標高68mに残る戦国の記憶を歩く
「鷺山 城跡ってどんな場所?」「行く価値はあるの?」——岐阜市の住宅街の中にひっそりとたたずむ標高68mの小さな山。ここがかつて、戦国の梟雄・斎藤道三が最期の日…
💡 ぎふ旅メモ

麓の伊奈波神社には、江戸時代中期に描かれた『稲葉城趾之図』が伝わっています。この神社はもともと稲葉山にあり、道三が城郭を整える際に現在地へ遷したと伝えられます。城と神社の意外な縁を知ると、参拝がぐっと味わい深くなります。

わずか18人で落城?竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り事件の真相

わずか18人で落城?竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り事件の真相の解説画像

稲葉山城の歴史でもっともドラマチックなのが、若き天才軍師・竹中半兵衛による乗っ取り事件です。信長でさえ手こずった堅城が、なぜ少人数で落ちたのでしょうか。

1564年、主従わずか十数人で難攻不落の城を占拠

1564年(永禄7年)2月、竹中半兵衛(重治)は義父・安藤守就とともに、わずか主従十数人ほどで稲葉山城を急襲し、一夜のうちに占拠したと伝えられます。当時の城主は道三の孫にあたる斎藤龍興。難攻不落を誇った城が、これほど少ない人数で落ちたことは戦国史でも屈指の椿事として語り継がれています。半兵衛は当時まだ20代前半。この鮮やかな手際が、のちに「秀吉が三顧の礼で迎えた軍師」という伝説の土台になりました。歴史好きが金華山を訪れると、「この急な山を、たった十数人でどうやって?」と誰もが唸ります。ただし後述の通り、この逸話には脚色が多く含まれる点は押さえておきたいところです。

きっかけは「城壁からの小便」?脚色された屈辱伝説

乗っ取りの動機として有名なのが「小便伝説」です。通説では、半兵衛が登城の帰りに斎藤方の家臣から城壁の上で小便をかけられ、その屈辱への報復として城を奪ったとされます。ただし、この劇的な筋書きは同時代の史料に裏付けが乏しく、後世の創作色が濃いというのが近年の見方です。実際には、龍興の政治への不満や斎藤家中の対立など、複数の要因が重なった政変だったと考えられています。旅先で耳にする「面白い逸話」は、そのまま史実と信じ込まず、”語りとして楽しむ”のが歴史散策の作法。岐阜市歴史博物館などで一次史料に触れると、伝説と史実の距離が見えてきて、より深く楽しめます。

奪った城を「すぐ返した」半兵衛の美学

この事件が単なる下剋上と違うのは、半兵衛が奪った城をほどなく斎藤龍興に返してしまった点にあります。領地欲のためではなく、龍興を諫めるための行動だったとも言われ、この振る舞いが「私欲なく軍師に徹した人物」という半兵衛像を形づくりました。城を奪って終わりではなく、返して立ち去る——この美学が後世の人々の心をつかんだのです。とはいえ史実として動機がどこまで高潔だったかは検証の余地があり、あくまで伝承として受け止めるのが冷静な見方でしょう。歴史の”解釈の幅”を楽しめるのも、稲葉山城という舞台の奥深さです。

⚠️ 知っておきたい注意点(失敗パターン①)

「小便伝説」や「三顧の礼」を史実そのものと思い込んで人に語ると、歴史に詳しい人に苦笑いされることがあります。戦国の逸話は軍記物や講談で脚色されたものが多く、稲葉山城乗っ取りの動機も諸説あり。現地の案内板や博物館の解説を”一次情報”として確認する癖をつけると、旅の会話に厚みが出ます。

織田信長が「岐阜」と改名したのはなぜ?稲葉山城の戦いが変えた歴史

稲葉山城の物語のクライマックスが、1567年の織田信長による攻略です。この戦いを境に、城の名も土地の名も、そして信長の運命も大きく動きます。

西美濃三人衆の内応で決した稲葉山城の戦い

1567年(永禄10年)、信長は稲葉山城への総攻撃を仕掛けます。勝敗を決めたのは、斎藤家の重臣「西美濃三人衆」(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)の内応でした。有力家臣が織田方に寝返ったことで城は一気に孤立。信長は瑞龍寺山へ兵を駆け上らせ、麓の町を焼き、城の周囲に鹿垣を巡らせて封じ込めます。当主・斎藤龍興はわずか半月ほどで抗しきれず、長良川を舟で下って伊勢長島へと逃れました。道三が築き、半兵衛が一夜で奪ったこの堅城も、家臣の離反という内側からの崩壊には勝てなかったのです。金華山を歩くと、瑞龍寺山や長良川の位置関係が実感でき、戦いの構図が立体的に見えてきます。

「岐阜」の名は古代中国の故事に由来していた

城を手に入れた信長は、地名の「井口」を「岐阜」へと改めます。この命名には深い意味が込められていました。古代中国で周王朝の文王が「岐山(きざん)」を拠点に天下を平定した故事にあやかり、「岐」の一字を採ったとされます。さらに学問の中心地を意味する「阜(ふ)」を合わせ、天下統一への志を地名に刻んだのです。同じ頃から信長は「天下布武」の朱印を用い始めます。城の名を稲葉山城から岐阜城へ改めたのも、この壮大な構想の一環でした。旅先で「岐阜」という地名の由来を知ると、何気ない看板や駅名がにわかに歴史の重みを帯びて見えてきます。

楽市楽座で花開いた信長の城下町づくり

信長は岐阜を単なる軍事拠点にせず、経済で栄える城下町へと育てます。楽市楽座の政策で商人の自由な商売を認め、関所を撤廃して物流を活発化させました。宣教師ルイス・フロイスは当時の岐阜のにぎわいを「バビロンのようだ」と書き残しています。城の麓、現在の川原町あたりは長良川の水運で栄えた商業地の名残をとどめ、今も古い町家が並ぶ風情ある一角です。歴史散策のあとに川原町でひと休みするコースは、家族連れにもカップルにも人気。城の勇壮さと城下の華やぎ、両方を味わえるのが岐阜さんぽの醍醐味です。

あわせて読みたい
金の信長像はなぜ岐阜駅前で輝く?|高さ11m・市民寄付で建った黄金の織田信長公像ガイド
JR岐阜駅の北口に出た瞬間、視界の正面でまばゆく光る人影に足を止めた経験はありませんか。マントをひるがえし、片手に火縄銃を握って前を見据える、全身金色の武将——…
Q. 稲葉山城の戦いと「桶狭間の戦い」はどちらが先ですか?
A. 桶狭間の戦い(1560年)が先で、稲葉山城の戦い(1567年)が後です。信長は桶狭間で今川義元を破って尾張を固めたのち、7年かけて美濃を攻略し、稲葉山城を手に入れて本拠を移しました。この順序を押さえると、信長の勢力拡大の流れがすっきり理解できます。

稲葉山城を今めぐるなら|金華山と岐阜城への行き方・料金完全ガイド

歴史を知ったら、実際に城跡へ足を運びたくなるはず。ここでは現在の金華山・岐阜城をめぐるための実用情報を、料金や注意点まで正直にお伝えします。

【重要】天守閣は改修工事で休館中(2027年秋まで)

訪問前にまず知っておきたいのが、金華山山頂の岐阜城天守閣が改修工事のため休館中だという点です。岐阜市の公式情報によると、休館期間は令和8年(2026年)5月19日から令和9年(2027年)10月下旬(予定)まで。リニューアルオープンは令和9年11月が予定されています。改修前の入場料は大人(16歳以上)200円、小人(4歳以上16歳未満)100円でした。日本100名城のスタンプは、天守閣休館にともない加藤栄三・東一記念美術館とぎふ金華山ロープウェー山頂駅の2か所へ移設されています。「天守に登れると思って来たのに閉まっていた」という残念な思いをしないよう、訪問前に岐阜市公式サイトで最新の開館状況を必ず確認してください。

⚠️ 知っておきたい注意点(失敗パターン②)

天守閣の休館を知らずに山頂まで登り、「中に入れなかった」とがっかりする人が少なくありません。ただし山頂からの濃尾平野の眺望や、金華山の自然、リス村などは休館中でも楽しめます。天守内部の見学が目的なら、リニューアルオープン(2027年11月予定)まで待つ判断も。目的に合わせて訪問時期を選ぶのが賢い旅の組み立て方です。

ロープウェーなら約4分、往復1,300円で山頂へ

金華山の山頂へ最も手軽に上がる方法が、ぎふ金華山ロープウェーです。麓の山麓駅から山頂駅までを結び、体力に自信がない人や家族連れでも快適に登れます。料金は大人(12歳以上)が往復1,300円・片道800円、小人(4〜11歳)が往復650円・片道400円。始発は上り9:00、最終は下り18:00が目安ですが、季節によって時間が変わるため公式サイトで確認しましょう。運休期間もあり、2026年は6月1日〜5日、12月1日〜28日、2027年1月7日〜2月16日が予定されています。登山道を歩けば約1時間かかる道のりが、ロープウェーなら数分。時間を節約したいドライブ旅や、小さな子ども連れには断然ロープウェーが向いています。

📍 スポット情報
名称ぎふ金華山ロープウェー(山麓駅)
所在地〒500-8734 岐阜県岐阜市千畳敷下257番地
電話番号058-262-6784
営業時間上り始発9:00〜下り最終18:00 ※季節変動
運賃大人往復1,300円・片道800円/小人往復650円・片道400円
公式サイト公式サイト

車で行くなら岐阜公園の駐車場を起点に

飛騨をはじめ岐阜は車社会。金華山へ車で向かう場合は、麓の岐阜公園周辺の駐車場を起点にします。おすすめは「岐阜公園堤外駐車場」で、料金は1回310円(最初の1時間は無料)。ここに車を停め、岐阜公園を抜けてロープウェー山麓駅へ向かうのが定番ルートです。アクセスは東海北陸自動車道・岐阜各務原ICから市街地方面へ車で約20分、名古屋方面からも1時間圏内。ただし桜や紅葉のシーズン、週末は駐車場が満車になりやすく、周辺道路も混雑します。午前中の早い時間に到着するか、公共交通機関(JR岐阜駅・名鉄岐阜駅からバス約15分)を併用するのが、混雑を避けるコツです。

あわせて読みたい
岐阜城観光モデルコースは半日で完結|天守閣休館中も楽しむ金華山と川原町の歩き方
金華山の頂に立つ岐阜城を中心に、半日でも1日でも組み立てられる「岐阜城観光モデルコース」。検索してみると、ロープウェーや川原町、鵜飼など見どころは多いのに、「結…

城下に眠る信長の夢|岐阜公園・信長居館跡で感じる往時の姿

天守閣が休館中でも、稲葉山城・岐阜城の歴史は麓の城下でこそ深く味わえます。ここでは山を登らずに楽しめる歴史スポットを紹介します。

発掘が進む「信長公居館跡」で往時の暮らしを想像する

金華山のふもと、岐阜公園の一角には、信長が暮らした「信長公居館跡」があります。近年の発掘調査で、庭園や巨石を使った石垣、金箔瓦などが次々と見つかり、宣教師フロイスが驚嘆した豪壮な館の姿が少しずつ明らかになっています。山頂の城が”戦いの場”なら、麓の居館は”暮らしと政治の場”。信長がここで客をもてなし、天下統一の構想を練った空間を想像しながら歩けます。入園は無料で、発掘現場のパネル解説も充実。歴史好きにはたまらない学びの場ですが、屋外中心のため夏は日差し対策、冬は防寒をしっかり。ベビーカーでも回れる平坦な園路が多く、家族連れにも歩きやすいエリアです。

岐阜市歴史博物館で一次史料に触れる

岐阜公園内にある岐阜市歴史博物館は、稲葉山城・岐阜城の歴史を体系的に学べる場所です。戦国時代の岐阜のジオラマや、道三・信長ゆかりの資料、城下町を再現した展示などがあり、山登りの前後に立ち寄れば理解が一気に深まります。伝説として語られる逸話の”元ネタ”や、発掘の最新成果に触れられるのも博物館ならでは。「小便伝説は本当か?」といった疑問も、ここで史料に当たれば自分なりの答えが見えてきます。歴史散策を”体感”から”探究”へ引き上げたい人におすすめ。展示替えや休館日があるため、訪問前に開館日を確認しておくと安心です。

麓の伊奈波神社に残る稲葉山城のもうひとつの物語

岐阜公園から歩いて行ける伊奈波神社は、稲葉山城と縁の深いスポットです。この神社はもともと稲葉山にあり、斎藤道三が城郭を整備する際に現在地へ遷されたと伝えられています。境内には江戸時代中期に描かれた『稲葉城趾之図』も伝わり、往時の城の姿を今に伝えています。1900年以上の歴史をもつともいわれる古社で、荘厳な社殿と豊かな鎮守の森は、城めぐりの締めくくりにふさわしい静けさ。パワースポットとしても人気が高く、城の歴史と信仰の両方を味わえます。参拝は無料ですが、週末や祭事の日は駐車場が混み合うため、岐阜公園から徒歩で回るのがおすすめです。

あわせて読みたい
伊奈波神社は岐阜最強のパワースポット?|1900年の歴史・ご利益・境内の回り方を徹底解説
「岐阜で一番有名な神社ってどこ?」と聞かれたら、多くの地元の人が真っ先に名前を挙げるのが伊奈波神社です。岐阜市の中心部、金華山のふもとに鎮座するこの神社は、創建…

📝 城下で味わう歴史散策のポイント

  • 信長公居館跡は入園無料。発掘で判明した庭園・石垣・金箔瓦は必見
  • 岐阜市歴史博物館で逸話と史実の距離を確かめると理解が深まる
  • 伊奈波神社は稲葉山城ゆかりの古社。『稲葉城趾之図』が伝わる
  • いずれも岐阜公園を起点に徒歩でめぐれる平坦なコース

シーン別・稲葉山城さんぽの楽しみ方|歴史好きから家族連れまで

同じ稲葉山城・金華山でも、誰と行くかで楽しみ方は変わります。旅のスタイル別に、おすすめの回り方を提案します。

歴史好きの一人旅は登山道×博物館の”探究コース”

戦国史をじっくり味わいたい一人旅なら、あえて登山道を歩いて登るコースがおすすめです。麓から山頂まで徒歩約1時間、寄せ手が苦しんだ急峻な地形を自分の足で体感すれば、「難攻不落」の意味が腑に落ちます。登る前に岐阜市歴史博物館で予習し、下山後に信長公居館跡で答え合わせをする流れが理想。中世の削平地や瑞龍寺山の位置を確かめながら歩けば、金華山全体が巨大な歴史遺構だと実感できます。ただし登山道は本格的な山道。運動靴・飲み物・雨具は必携で、無理せず体調に合わせて。下りだけロープウェーを使う片道800円の”いいとこ取り”も賢い選択です。

家族連れはロープウェー+リス村で無理なく

小さな子ども連れの家族には、ロープウェーで一気に山頂へ上がるプランが安心です。往復1,300円(小人650円)で数分の空中散歩を楽しめ、山頂駅からは濃尾平野の大パノラマが広がります。山頂近くの「金華山リス村」では放し飼いのリスに餌やり体験ができ、子どもたちに大人気。天守閣は休館中でも、眺望・自然・動物とのふれあいで十分に一日楽しめます。ベビーカーは山頂駅周辺の一部で使いにくい箇所があるため、抱っこひもがあると安心。お弁当を持参して、平野を見下ろしながらの休憩もおすすめです。

カップルは夕景&夜景の”絶景コース”を

カップルの旅には、夕方から夜にかけて金華山を訪れる絶景コースがぴったりです。ロープウェーの夜間運行が実施される時期には、山頂から岐阜市街のきらめく夜景を眺められ、ロマンチックなひとときになります。信長が見下ろした濃尾平野が、今は光の海に変わる——歴史と現在が重なる眺めは格別です。夜景の日は運行時間が延長されるため、事前に公式サイトで運行日を確認しましょう。山頂は市街より気温が下がるので、一枚羽織るものを持って行くと快適。下山後は麓の川原町で食事を楽しむ流れも、大人のデートにおすすめです。

💡 意外と知られていない逆張り視点

「天守閣が休館中の今は行っても意味がない」と思われがちですが、実は逆。天守内部を見学できない今こそ、山城としての稲葉山城の”地形の妙”や、麓の居館跡・発掘現場にじっくり向き合える好機です。復元天守の観光に人が集まりがちな平常時より、玄人好みの城歩きが静かに楽しめる——それが休館中ならではの隠れた魅力です。

まとめ|稲葉山城は「岐阜」誕生の舞台だった

稲葉山城は、現在の岐阜城とまったく同じ、金華山山頂の城です。鎌倉時代の砦に始まり、斎藤道三が戦国の名城へと育て、竹中半兵衛がわずか十数人で乗っ取り、そして織田信長が手に入れて「岐阜」と改名し、天下統一への拠点とした——約400年にわたる濃密な歴史がこの一つの山に凝縮されています。名前が変わったことで稲葉山城という呼び名は表舞台から消えましたが、その物語は今も金華山のそこかしこに息づいています。天守閣は2027年秋まで改修工事で休館中ですが、山頂からの眺望や麓の信長公居館跡、伊奈波神社など、城の歴史を味わう楽しみ方はたくさんあります。

📝 この記事の要点まとめ

  • 稲葉山城=岐阜城の前身。信長の改名で名が変わった同じ城
  • 起源は1201年の砦。斎藤道三が1539年ごろ大改修し名城に
  • 1564年、竹中半兵衛が主従十数人で城を乗っ取った(逸話には脚色あり)
  • 1567年、信長が西美濃三人衆の内応で攻略、「岐阜」と命名
  • 地名「岐阜」は周の文王が拠った「岐山」の故事に由来
  • 天守閣は令和9年10月下旬まで休館、11月リニューアル予定
  • ロープウェーは往復大人1,300円、駐車場は堤外駐車場が便利

まずは訪問前に岐阜市公式サイトで天守閣の開館状況とロープウェーの運行日を確認するところから始めましょう。歴史好きなら登山道と博物館で”探究の一日”を、家族連れならロープウェーとリス村で無理のない一日を。金華山を見上げれば、道三や信長が見た同じ空が広がっています。稲葉山城という名を思い出しながら、岐阜の街を歩いてみてください。なお、料金や営業時間・開館状況は変わることがあるため、最新情報は各公式サイトでご確認ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

飛騨高山・白川郷・下呂温泉を中心に、岐阜県の観光スポット・グルメ・温泉情報を発信しています。地元の人に教えてもらった穴場や、季節ごとのおすすめルートなど、旅行計画に役立つリアルな情報をお届けします。

コメント

コメントする

目次