「竹中半兵衛の墓を訪ねたいけれど、岐阜と兵庫のどちらに行けばいいのかわからない」——検索してみると、岐阜県垂井町の禅幢寺と兵庫県三木市の平井、まったく別の場所が同じ「竹中半兵衛の墓」として出てきます。地図アプリで見ると直線距離で150km以上。旅の計画を立てる前に、ここでつまずく人は少なくありません。
結論から言うと、半兵衛の遺骨が改葬され、竹中家の菩提寺として今も法要が営まれているのは岐阜県垂井町の禅幢寺です。三木市の墓は、半兵衛が三十六年の生涯を閉じたまさにその場所に建つ「没した地の墓」。どちらも本物であり、性格が違うだけなのです。
この記事では、垂井町・岩手地区に眠る竹中半兵衛の墓の場所と参拝の作法、徒歩45分という距離の落とし穴、そして墓から半径500mに凝縮された竹中家の遺構群までを、地元をめぐる案内人の目線でまとめました。2026年はNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の年でもあり、垂井町はドラマの舞台として注目を集めています。混み合う前に、静かな菩提山のふもとを歩いてみませんか。
・岐阜(垂井町・禅幢寺)と兵庫(三木市・平井)の墓の違いと、どちらを訪ねるべきか
・禅幢寺の墓所へ迷わずたどり着く歩き方と、拝観・駐車場の実際
・墓の徒歩圏にある竹中氏陣屋跡・菁莪記念館・菩提山城跡の回り方
・車がない人のためのアクセス手段と、やりがちな失敗2パターン
竹中半兵衛の墓は岐阜と兵庫の2か所にある|どちらが「本当の墓」なのか

竹中半兵衛重治の墓が複数存在するのは、彼の死に方と、息子・重門の行動が理由です。まずは2か所の位置づけを整理しておきましょう。ここを理解しておくと、現地に立ったときの見え方がまるで変わります。
遺骨が眠るのは垂井町・禅幢寺|三木の墓は「散った場所」の墓
訪ねる先を1か所に絞るなら、岐阜県不破郡垂井町岩手の禅幢寺です。ここは竹中家の菩提寺であり、半兵衛の子・重門が三木の地から墓を移した場所。竹中氏の五輪塔が並ぶ墓所は本堂左手の墓地内にあり、今も毎年6月に法要が営まれています。「竹中半兵衛に手を合わせる」という行為の意味がもっとも濃いのは、この場所です。
いっぽう兵庫県三木市平井の墓は、半兵衛が天正7年(1579)6月13日、羽柴秀吉の陣中で病没したまさにその山麓に建つもの。ぶどう畑の中に白い練塀で囲まれてぽつんと佇む姿は、三木合戦の緊張感をそのまま伝えます。「最期の風景を見たい」人はこちら。どちらも入場無料で、拝観料は不要です。
旅の組み立て方としては、岐阜観光のついでなら垂井町、姫路・神戸方面の旅なら三木市、と割り切るのが現実的。両方を1日で回るのは、車でも移動だけで3時間以上かかるため無理があります。関ケ原や大垣をめぐるドライブ旅なら、迷わず禅幢寺を選んでください。名神高速の関ケ原ICから車で約10分という近さは、旅程に組み込みやすい大きな利点です。
📜 歴史メモ
禅幢寺の創建は1494年。薩摩・金幢寺の僧、正碩和尚が開いたと伝わります。現在の本堂は1663年に竹中重常が建立したもので、竹中家が江戸期を通じて旗本として岩手の地を治め続けた歴史がそのまま境内に刻まれています。
天正7年6月13日、36歳|三木の陣中で何が起きたのか
半兵衛が没したのは、羽柴秀吉が三木城の別所長治を兵糧攻めにしていた最中でした。天文13年(1544)生まれですから、享年36。当時としても早すぎる死です。三木市の資料には、秀吉が遺体にとりすがり、人前をはばからず泣いたと記されています。軍師という役割を超えた信頼関係があったことがうかがえます。
この「三木合戦」は天正6年(1578)から天正8年(1580)まで続いた長期戦で、半兵衛はその只中で病に倒れました。京都で療養していたものの、陣中に戻ることを望んだと伝わります。参拝の前にこの経緯を知っておくと、三木市平井のぶどう畑に立ったとき、あるいは禅幢寺の五輪塔の前に立ったときの感慨が違ってきます。
訪ねるタイミングとしては、命日にあたる6月がひとつの目安。ただし梅雨どきで足元がぬかるむため、山城の登城や墓地の斜面を歩く予定があるなら、滑りにくい靴が必要です。夏場の三木市平井はぶどう畑の農作業期にあたるため、農道に車を停めないなどの配慮も欠かせません。歴史ファンとして節度ある行動を心がけたいところです。
息子・重門が墓を移した1587年|改葬が意味するもの
半兵衛の死から8年後、子の竹中重門が三木から垂井へ墓を移しました。父が死んだとき重門はまだ幼く、家督を継いだのちに菩提を弔うかたちを整えたことになります。この改葬があったからこそ、岐阜県垂井町に「竹中半兵衛の墓」が存在するのです。
重門はその後、天正16年(1588)に菩提山城の山麓に岩手城(のちの竹中氏陣屋)を築き、関ヶ原の戦いでは東軍について所領を安堵されました。竹中家は江戸時代を通じて交代寄合の旗本として岩手の地に残り、その結果として陣屋の櫓門や菁莪記念館の史料が今日まで伝えられています。墓と遺構がセットで残っているのは、この家の継続性の賜物です。
歴史好きの一人旅であれば、禅幢寺の墓所と竹中氏陣屋跡を「父と子の対」として見るのがおすすめの視点。徒歩10分ほどの距離に、父の眠る寺と子が築いた陣屋が並んでいます。ただし禅幢寺は現役の寺院で、地域の方々の墓地でもあります。三脚を立てた長時間の撮影や、他家の墓を写し込む行為は避けましょう。
実は三木市にもう1か所ある|栄運寺裏山の知られざる墓所
三木市に半兵衛の墓が2か所あることは、あまり知られていません。有名な平井の墓のほかに、志染町安福田の栄運寺裏山にもう1基あります。三木市の公式ページにも「志染町安福田にもありますが、あまり知られていません」と記されているとおり、訪れる人はごく少数です。
平井の墓と栄運寺裏山の墓は、秀吉本陣のあった平井山を挟んで山中で地続きになっているものの、実際に移動するには車で10分ほどかかります。道は藪をかき分けるような状態と伝えられており、装備なしでの探索はおすすめしません。半兵衛の墓を「制覇」したい上級者向けの選択肢と考えてください。
つまり竹中半兵衛の墓は、岐阜県垂井町に1か所、兵庫県三木市に2か所、あわせて3か所存在することになります。戦国武将の墓が複数の土地に分かれて祀られるのは珍しいことではなく、岐阜県内では明智光秀の墓がその代表例です。ゆかりの地ごとに供養のかたちが残るのは、その人物が土地に愛された証でもあります。

「明智光秀の墓はどこにあるの?」と検索すると、京都、滋賀、そして岐阜と、いくつもの場所が出てきて戸惑った経験はありませんか。天下人・織田信長を本能寺で討ちながら…
禅幢寺で竹中半兵衛の墓に会う|五輪塔と2019年改修の今
それでは、垂井町・禅幢寺の墓所を実際にどう訪ねるのか。境内の構造と参拝の作法、そして年に一度だけの特別な日について整理します。
本堂左手の墓地、一段高い山側|迷わずたどり着く歩き方
山門をくぐって正面が本堂。竹中氏の墓所は本堂の左手にある墓地の中、一段高くなった山側にあります。派手な標識や立派な門があるわけではなく、手作りの案内板が目印。初めて訪れる人は「本堂の左、坂を上がる」とだけ覚えておけば迷いません。境内は菩提山のふもとにあり、背後には半兵衛の居城だった山がそのまま迫っています。
墓所には半兵衛(重治)の五輪塔と、父・重元の五輪塔が並んで祀られています。石の質感と苔の乗り方に、江戸期から続く時間の厚みが見て取れます。所要時間は、山門から墓所まで往復して手を合わせるだけなら15分ほど。境内をゆっくり見て回っても30分あれば十分です。
車で訪れる場合の注意点がひとつ。山門の前には駐車スペースがなく、山門をいったんやり過ごして北側から左折した先に駐車場があります。ナビの案内どおりに山門前まで進んでしまうと、狭い道で切り返すことになりがちです。竹中氏陣屋跡から北へ進み、JR東海道本線のガードをくぐった先、と覚えておくと迷いにくくなります。
| 住所 | 〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手1038-1 |
| 電話番号 | 0584-23-0129 |
| 拝観 | 境内自由・拝観料不要 |
| 駐車場 | あり(山門をやり過ごし北側から左折) |
| アクセス | 名神高速 関ケ原ICから車約10分/JR垂井駅から車約8分 |
| 参考情報 | 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」 |
拝観料は不要|参拝で守りたい3つのこと
禅幢寺の参拝に料金はかかりません。境内は開かれており、事前予約も不要です。ただし観光施設ではなく、地域の方が日常的にお参りする現役の寺院である点は忘れないでください。守りたいのは3つ。1つ目は、他家の墓を撮影しないこと。2つ目は、法要や葬儀が行われている日は境内での長居を控えること。3つ目は、駐車場に停める際、寺の関係車両の出入りを塞がないことです。
参拝の作法そのものは難しくありません。手を合わせる前に一礼し、線香やお花を供える場合は所定の場所へ。半兵衛ファンが訪れて供物を置いていくことも多いのですが、生ものや傷みやすいものは寺の負担になります。菓子や飲料を供えたい場合は、参拝後に持ち帰るのがマナーです。
訪問時間帯は午前中がおすすめ。菩提山を背にした境内は午後になると山影に入り、写真が暗くなりがちです。また周辺の菁莪記念館が17時閉館、垂井町観光案内所が14時閉所と早めのため、墓参りを起点に他の史跡を回るなら午前スタートが効率的。逆に「静かに手を合わせたいだけ」なら、人の少ない平日の夕方も落ち着きます。
2019年の改修で生まれ変わった墓所|顕彰会の寄付が支えた
竹中半兵衛の墓は、2019年12月に大きく手が入りました。地元の「竹中半兵衛顕彰会」が呼びかけて寄付を募り、墓所が改修されたのです。参道の整備や周辺の環境が整えられたことで、以前より格段に参拝しやすくなっています。
この改修が示しているのは、半兵衛が今も垂井町の人々にとって「地元の誇り」であり続けているという事実です。全国から半兵衛ファンが訪れる場所を、地域の手で守り続けている。訪れる側としては、その労力に敬意を払いたいところです。ゴミの持ち帰りや静粛の維持は、寄付とは別のかたちの貢献になります。
注意点として、改修されたとはいえ墓所は山側の斜面に位置しており、雨天や積雪時は足元が滑りやすくなります。垂井町は関ケ原に近く、冬季は伊吹おろしの影響で雪が積もる日もあります。1月から2月に訪れるなら、スニーカーよりも滑り止めのある靴を選んでください。ヒールのある靴は避けたほうが安全です。
毎年6月第1日曜の法要|この日だけ掲げられる江戸初期の絵巻
禅幢寺では毎年6月の第1日曜に半兵衛の法要が営まれます。2026年は6月7日に執り行われ、地元の振興会による演舞の奉納も行われました。全国から半兵衛ファンが集まる、年に一度の特別な日です。
この法要のいちばんの見どころは、この日だけ本堂に掲げられる江戸初期の絵巻。半兵衛の功績と肖像画が描かれたもので、通常は公開されていません。「半兵衛の顔を見たい」という願いを叶えられるのは、この日だけということになります。歴史ファンなら日程を合わせる価値があります。
ただし注意も必要です。法要当日は参列者と関係者で境内が混み合い、駐車場も限られます。静かに墓前で過ごしたい人にとってはむしろ不向きな日。また命日そのものは天正7年6月13日で、法要日とは一致しません。6月の第1日曜という「動く日程」のため、訪問を計画する際は事前に垂井町の観光情報で確認してから出発しましょう。三木市平井の墓では毎年7月13日に地元住民による法要が営まれており、そこには垂井町や大野町からの参列者もあります。
法要は「6月第1日曜」で、毎年日付が変わります。命日の6月13日に訪れても法要は行われていません。絵巻の公開を目当てにするなら、日程の確認は必須です。
車がないと厳しい?|垂井駅から岩手地区への現実的な行き方

竹中半兵衛の墓がある岩手地区は、垂井町の中心部から北へ離れた山あいにあります。ここが旅程づくりの最大の関門。手段ごとの現実を正直にお伝えします。
関ケ原ICから10分・垂井駅から車8分が最速ルート
もっとも確実なのは車です。名神高速道路の関ケ原ICから約5.5km、車で約10分。JR垂井駅からなら3.8km、車で約8分の距離です。東海環状自動車道の大垣西ICからは約20分、養老SAスマートICからは約15分でアクセスできます。名古屋方面からでも、関ケ原の史跡めぐりとセットで無理なく組み込めます。
駐車場は竹中氏陣屋跡の櫓門近くに無料の観光駐車場があり、大型バスも停められます。菁莪記念館とも共通で使えるため、ここに1台停めてしまえば、陣屋跡・菁莪記念館・菩提山城の登山口まですべて徒歩圏。禅幢寺だけは踏切を越えた先になるので、車で移動するか徒歩10分ほど歩くことになります。
ドライブ旅で組むなら、関ケ原の古戦場めぐりと同日にするのが定番の組み立て方。関ケ原ICを降りて竹中半兵衛の墓へ北上し、戻って関ヶ原の陣跡を回るルートなら、移動のロスがほとんどありません。注意点は、岩手地区の道が狭い区間を含むこと。対向車とのすれ違いに気を使う場面があるため、大型のミニバンやレンタカーに慣れていない人は速度を落として進んでください。
レンタサイクルという選択肢|垂井駅北口の観光案内所
車を使わない人に現実的なのが、JR垂井駅北口の垂井町観光案内所で借りるレンタサイクルです。案内所は駅北口ロータリーにあり、竹中半兵衛公の像が立つ場所としても知られています。ここで自転車を借りれば、駅から岩手地区まで3.8kmの道のりを20分前後で移動できます。
営業時間は9時から14時までと短く、定休日は毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌火曜日)と年末年始。つまり午後に垂井駅へ着いた場合、レンタサイクルはすでに借りられない可能性が高いということです。自転車を前提に旅程を組むなら、午前中に垂井駅へ到着する電車を選んでください。
自転車の利点は、陣屋跡・菁莪記念館・禅幢寺の3か所を効率よく回れること。徒歩だと各スポット間の移動で疲れてしまいますが、自転車なら1か所5分程度で移動できます。ただし岩手地区は菩提山のふもとに向かって緩やかな上り坂が続くため、電動アシストでない場合は行きに体力を使います。菩提山城の登城まで考えているなら、自転車での消耗は計算に入れておきましょう。
| 住所 | 〒503-2121 岐阜県不破郡垂井町1812-10 JR垂井駅北口ロータリー |
| 電話番号 | 0584-23-2020 |
| 営業時間 | 9:00〜14:00 |
| 定休日 | 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌火曜日)、年末年始 |
| サービス | レンタサイクル貸出、観光パンフレット配布 |
| 参考情報 | 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」 |
徒歩は約45分・路線バスは平日のみ|旅程を壊す落とし穴
実際にあった失敗を紹介します。土曜日に電車で垂井駅へ着いた歴史好きが「バスで行けるだろう」と考えて駅前で時刻表を確認したところ、岩手地区まちづくりセンター行きの路線バスは平日のみの運行と判明。観光案内所も14時で閉まっており、レンタサイクルも借りられず、結局タクシーを呼ぶことになりました。週末の岩手地区は、公共交通の空白地帯になるという前提を持っておく必要があります。
対策は3つ。第一に、公共交通で行くなら平日に日程を合わせること。第二に、週末に行くなら午前中に垂井駅へ着いてレンタサイクルを確保すること。第三に、どちらも難しいならタクシーの配車をあらかじめ調べておくことです。特に3つ目は重要で、都市部のように流しのタクシーが走っている地域ではありません。
徒歩という選択肢もありますが、JR垂井駅から竹中氏陣屋跡まで約45分、菩提山城跡までなら約60分かかります。片道45分を歩いたあとに山城へ登る計画は、体力的に無理があります。真夏や真冬は特におすすめできません。「駅から歩ける距離」と地図アプリの表示を鵜呑みにせず、往復1時間半の徒歩移動を前提に旅程を組んでください。
岩手地区行きの路線バスは平日のみの運行。土日祝に電車で訪れる場合、移動手段はレンタサイクル(14時まで受付)かタクシー、または徒歩45分の3択になります。到着時刻から逆算した計画が必要です。
墓参りだけで帰るのはもったいない|半径500mに残る竹中家の遺構
竹中半兵衛の墓を訪ねる旅の醍醐味は、墓の周囲に竹中家の遺構がまとまって残っていること。禅幢寺から歩ける範囲に、櫓門・記念館・山城が揃っています。すべて見学無料です。
竹中氏陣屋跡の櫓門|岐阜県史跡が今も現役で建つ
禅幢寺から南へ、東海道本線のガードをくぐった先にあるのが竹中氏陣屋跡です。天正16年(1588)に半兵衛の子・重門が築いた陣屋で、もとは岩手城と呼ばれていました。見どころは木造白壁塗りの櫓門。岐阜県の史跡に指定されており、400年以上の時を経て今も堂々と建っています。
陣屋跡地の南側は現在小学校になっており、建物の大半は失われています。それでも東側の櫓門に加え、水堀・石垣・北側の屋敷土塁がほぼ残っており、近世陣屋の遺構としての価値は高いものがあります。石垣は上に登ることもでき、水堀越しに櫓門を見る構図は写真映えします。見学時間は20分ほど。見学料は無料です。
家族連れで訪れる場合、ここは歩く距離が短く、階段や急斜面もないため負担が少ないスポット。子どもと一緒でも「お城の門」として楽しめます。注意点は、小学校が隣接しているため、平日の登下校時間帯は児童の通行があること。駐車場の出入りや撮影は配慮して行ってください。
| 住所 | 〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手614-1 |
| 見学料 | 無料 |
| 見どころ | 櫓門(岐阜県史跡)、水堀、石垣、屋敷土塁 |
| 駐車場 | あり(無料観光駐車場・大型バス可、菁莪記念館と共通) |
| アクセス | 名神高速 関ケ原ICから車約10分(約5.5km)/JR垂井駅から車約8分(3.8km) |
| 参考情報 | 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」 |
菁莪記念館は入館無料|陣屋の復元模型と竹中家の史料
陣屋跡から約93m、歩いて1分の場所にあるのが菁莪記念館です。天保年間に竹中家が開いた文武両道の道場「菁莪堂」がその前身で、明治以降は菁莪義塾へと発展しました。建物そのものが竹中家の教育観を今に伝える史料になっています。
館内では陣屋の復元予想模型や、竹中家にまつわる史料、岩手地区の歴史資料が展示されています。入館料は無料で、開館時間は9時から17時、休館日は火曜日。陣屋跡を見たあとに立ち寄れば、失われた建物の全体像が頭の中で立ち上がります。所要時間は30分ほどを見ておけば十分です。
歴史をじっくり読み込みたい一人旅の人に特に向いた施設。逆に、小さな子どもを連れた家族旅行では滞在が長くなりすぎない配慮が要ります。注意点は火曜休館という点で、火曜に訪れると陣屋跡と墓所は見られても、資料展示だけが空振りになります。団体で訪れる場合は事前に電話で問い合わせておくと安心です。
| 住所 | 〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手607-2 |
| 電話番号 | 0584-22-1007 |
| 開館時間 | 9:00〜17:00 |
| 休館日 | 火曜日 |
| 入館料 | 無料 |
| 駐車場 | あり(竹中氏陣屋跡と共通、大型バス可) |
| 参考情報 | 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」 |
菩提山城跡は片道45〜60分の山登り|西美濃最大級の山城
体力に自信があるなら、半兵衛の居城だった菩提山城跡へ登ってみてください。標高402mの山頂に築かれた城で、南北約300m・東西最大幅150mという西美濃最大級の規模を誇ります。禅幢寺の背後にそびえる山が、そのまま城跡です。
菩提の登山口から主郭までは距離1350m、比高300m。所要時間は45分から60分ほどです。ハイキングコースは全3コース整備されており、芭蕉の句碑や菩提寺といった史跡が道中に点在します。登り切った主郭からは西美濃の平野が見渡せ、半兵衛がこの地を押さえた理由が体感できます。見学料は無料です。
車は竹中氏陣屋跡の斜め前にある観光駐車場、または岩手地区観光駐車場を利用します。注意点は装備。登山道は舗装されておらず、雨後はぬかるみます。スニーカー以上の靴と飲料は必須で、夏場は虫除けもあったほうがよいでしょう。一人旅で登る場合、下山時刻には余裕を持たせてください。日没後の山道は道迷いのリスクが高まります。
竹中氏陣屋跡と菩提山城跡は、いずれも御城印が用意されています。城めぐりを趣味にしている人にとっては、墓参りと御城印集めを同時に済ませられる場所。販売状況は時期によって変わるため、垂井町観光案内所で確認するのが確実です。
三木市の墓へ行くなら|ぶどう畑の白壁と秀吉本陣跡をセットで

兵庫県側を訪ねる人のために、三木市平井の墓と周辺の回り方もまとめておきます。垂井町とはまったく違う、戦場の空気が残る場所です。
ぶどう畑の中の白い練塀|三木市平井の墓所
三木市平井の墓は、秀吉の本営があった山に続くぶどう畑のただ中にあります。白い練塀にぐるりと囲まれた一角が、遠目にもそれとわかる目印。周囲に建物がほとんどないため、畑の中にぽつんと浮かぶ白い塀を目指して歩くことになります。
住所は兵庫県三木市平井。入場料は無料で、見学に予約は不要です。アクセスは神戸電鉄粟生線の恵比須駅から徒歩30分、車なら山陽自動車道の三木東ICから約15分。問い合わせ先は三木市観光振興課(0794-82-2000)です。墓所そのものは小さく、滞在時間は15分ほど。
この場所の価値は、景色にあります。半兵衛が最期の日々を過ごした陣中の風景が、ぶどう畑に姿を変えながらも地形として残っている。垂井町の墓が「静かに眠る場所」だとすれば、こちらは「倒れた場所」です。歴史の現場に立ちたい人にとって、代えのきかない体験になります。注意点は、周囲が農地であること。ぶどうの栽培期には農作業が行われているため、畑に立ち入らず、通路にも荷物を置かないよう気をつけてください。
| 住所 | 〒673-0421 兵庫県三木市平井 |
| 問い合わせ | 0794-82-2000(三木市観光振興課) |
| 入場料 | 無料 |
| 駐車場 | 墓所には専用駐車場なし(平井公民館横または平井山ノ上付城跡の駐車場を利用) |
| アクセス | 神戸電鉄粟生線 恵比須駅から徒歩30分/山陽自動車道 三木東ICから約15分 |
| 参考情報 | 三木市公式ホームページ |
墓前に駐車場はない|平井公民館横に停めるのが正解
もうひとつ、実際に起きている失敗を共有します。カーナビに「竹中半兵衛の墓」と入力してそのまま向かった結果、農道の行き止まりで方向転換もできず、後続車が来ないことを祈りながらバックで抜け出す羽目になった——というケースです。墓所には専用の駐車場がありません。
正しい停め方は2つ。ひとつは平井公民館横の駐車場を使う方法。もうひとつは、近くの平井山ノ上付城跡(秀吉本陣跡)の駐車場に停めて歩く方法です。後者は約20台分のスペースがあり、仮設トイレも設置されているため、長めの見学には向いています。三木市も北播磨の観光ポータルも、この2か所からの徒歩アクセスを案内しています。
対策としては、目的地を「墓」ではなく「平井公民館」または「平井山ノ上付城跡」に設定してナビを起動すること。これだけで農道に迷い込む失敗は防げます。加えて、ぶどう畑の農道は幅が狭く、農作業車が通行します。歩いて向かう際も、路肩に寄って道を譲る余裕を持ってください。
平井山ノ上付城跡|半兵衛が最期に見た三木城の眺め
墓とセットで訪ねたいのが、国指定史跡の平井山ノ上付城跡です。天正6年(1578)7月に織田信長の長男・信忠が築き、8月に羽柴秀吉が入った付城で、三木城を包囲した付城群のなかで最大規模を誇ります。ここが半兵衛の最期の場所でした。
所在地は三木市平井・与呂木・志染町安福田にまたがります。開放時間は8時から17時(入城は16時まで)。登城口には約20台分の駐車場と仮設トイレが整備されています。平井公民館から東へ約400m進んだ場所に登り口の階段があり、そこから城跡へ上がります。見学料は無料です。
公共交通で向かう場合は、神戸電鉄粟生線の恵比須駅から登城口まで徒歩35分。神姫バス56系統で平井公民館前バス停まで行けば徒歩8分ですが、このバスは平日のみの運行です。垂井町と同じく、週末は公共交通が弱くなる点に注意してください。城跡からは三木城を望むことができ、秀吉がどのように包囲網を敷いたかが地形で理解できます。入城は16時までなので、夕方の到着では見学できない点も押さえておきましょう。
| 住所 | 兵庫県三木市平井・与呂木・志染町安福田 |
| 開放時間 | 8:00〜17:00(入城は16:00まで) |
| 見学料 | 無料 |
| 駐車場 | あり(登城口に約20台分)・仮設トイレあり |
| アクセス | 神戸電鉄粟生線 恵比須駅から徒歩35分(登城口)/神姫バス56系統 平井公民館前バス停から徒歩8分(平日のみ運行) |
| 参考情報 | 三木市立みき歴史資料館 |
生誕地から墓所まで|竹中半兵衛の36年を岐阜でたどる
墓を訪ねたあとに味わいが深まるのが、半兵衛が生まれた土地と、彼の名を天下に知らしめた事件の舞台です。どちらも岐阜県内にあり、垂井町からそう遠くありません。
大御堂城跡(大野町)は生誕の地|2023年3月に整備が完成
竹中半兵衛が生まれたのは、垂井町ではなく揖斐郡大野町の公郷(くごう)にあった大御堂(おおみどう)城です。天文13年(1544)、竹中重元の長男としてこの地に生を受けたと古文書に記されています。江戸時代の記録では、月真寺の西に城があったとされます。
長らく詳細が不明でしたが、平成25年度と27年度の発掘調査によって城の規模や土塁の痕跡が明らかになり、令和5年(2023)3月に整備が完成しました。大野町の史跡に指定されており、見学は無料。半兵衛の一生を「生まれた場所から眠る場所まで」たどりたい人には外せないスポットです。問い合わせは大野町埋蔵文化財センター(0585-36-1888)へ。
永禄元年(1558)、父・重元が岩手信周から岩手城(菩提山城)を奪って移ったことで大御堂城は廃城となりました。つまり半兵衛は14歳前後で垂井町岩手へ移り住んだことになります。訪問の注意点は、大野町から垂井町まで車で30分ほどかかること。半日ではなく1日かけて回る旅程を組んでください。城跡は整備されていますが、天守のような建物があるわけではないため、遺構を読む楽しみ方が中心になります。
| 住所 | 岐阜県揖斐郡大野町公郷 |
| 問い合わせ | 0585-36-1888(大野町埋蔵文化財センター) |
| 見学料 | 無料 |
| 指定 | 大野町史跡(平成8年3月8日指定)/令和5年3月に整備完成 |
| 参考情報 | 大野町公式ホームページ |
意外と知られていない|半兵衛の名を上げたのは「城を奪った」事件だった
竹中半兵衛といえば「秀吉の軍師」というイメージが定着していますが、実は彼の名が天下に轟いたのは秀吉と出会う前のことでした。永禄7年(1564)、主君である斎藤龍興の稲葉山城を、わずかな手勢で奪い取った事件です。この一件で「美濃に智将あり」と知られるようになりました。
興味深いのは、半兵衛が城を奪ったあとの行動です。城を私物化することなく、しばらくして龍興に返還しています。天下取りの野心よりも、諫言のための行動だったと解釈されることが多い出来事。この筋の通し方こそが、後年に秀吉が三顧の礼で迎えようとした理由だとも言われます。
墓前に立つとき、この事件を知っているかどうかで見え方が変わります。「秀吉の参謀」として死んだ36歳の男は、その15年前に美濃の主城を落としてなお、それを手放した人物でもあった。稲葉山城は現在の岐阜城で、金華山の山頂に建っています。垂井町から車で40分ほどの距離ですから、半兵衛の足跡をたどる旅に組み込むのは難しくありません。

「稲葉山城って、いまはもう無いの?」「岐阜城とは違うお城なの?」——戦国史を少しかじると、必ずぶつかるのがこの疑問です。結論からお伝えすると、稲葉山城と岐阜城は…
タルイピアセンターで予習する|入館無料のマジックビジョン
岩手地区へ向かう前に立ち寄りたいのが、垂井町のタルイピアセンター・歴史民俗資料館です。竹中半兵衛重治のコーナーが設けられており、竹中家の陣屋門に内蔵されたマジックビジョンで、天下を統一し終えた秀吉が登場して半兵衛の生涯を語る演出が用意されています。
入館料は無料。開館時間は10時から18時で、休館日は毎週月曜・祝祭日、最終木曜日(12月を除く)、12月28日から1月4日まで。館外には竹中半兵衛の銅像も立っています。歴史の予備知識が少ない同行者がいる場合、ここで映像を見てから墓所へ向かうと、現地での会話がまるで変わってきます。
注意点は開館が10時からという点。9時台に垂井駅に着く電車で来た場合、先に岩手地区を回ってから戻ってくる順番のほうが効率的です。また月曜と祝日が休館のため、連休中の訪問では閉まっていることが多くなります。所要時間は竹中半兵衛コーナーだけなら20分、館内全体を見るなら1時間ほど見ておくとよいでしょう。
| 住所 | 〒503-2121 岐阜県不破郡垂井町2443-1 |
| 電話番号 | 0584-23-3746 |
| 開館時間 | 10:00〜18:00 |
| 休館日 | 毎週月曜・祝祭日、最終木曜日(12月を除く)、12月28日〜1月4日 |
| 入館料 | 無料 |
| 参考情報 | 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」 |
2026年は「豊臣兄弟!」の年|スタンプラリーで町をめぐる楽しみ
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送に合わせ、垂井町では竹中半兵衛ゆかりの地をめぐるLINEスタンプラリーが開催されました。開催期間は2026年3月8日から6月30日まで。すでに終了していますが、こうした企画が繰り返し実施されるのが大河ドラマ放送年の特徴です。
スタンプラリーのチェックポイントは全8か所で、南宮大社、タルイピアセンターの竹中半兵衛銅像、垂井駅前の竹中半兵衛銅像などが含まれていました。4か所以上のスタンプで観光協会のお土産品、全8か所制覇で抽選への応募という設計。町全体を歩かせる工夫が効いています。
訪問を計画する際は、垂井町観光協会のLINE公式アカウントや観光案内所で、開催中の企画を確認してみてください。大河ドラマの放送年は展示やイベントが増える一方、駐車場の混雑も起こりやすくなります。静かに墓前で過ごしたい人は、放送が落ち着いた時期や平日の午前を選ぶのが賢明です。
垂井町は中山道の垂井宿があった宿場町でもあります。半兵衛の墓がある岩手地区は町の北部、宿場町の面影が残るのは垂井駅の南側。1日かけるなら、午前に岩手地区、午後に垂井宿と南宮大社という組み立てが無理なく回れます。
誰と行くかで回り方は変わる|4つのシーン別モデルプラン
同じ竹中半兵衛の墓参りでも、同行者によって最適なルートはまったく違います。ここでは4つのシーン別に、現実的な回り方を提案します。
ドライブ旅|関ケ原ICを起点に半日で3か所
車があるなら、名神高速の関ケ原ICを起点にした半日プランがもっとも効率的です。ICから約10分で竹中氏陣屋跡の観光駐車場に到着。そこに車を置いて陣屋跡と菁莪記念館を1時間で見学し、車で禅幢寺へ移動して墓参り。ここまで2時間ほどで完結します。
時間が余ったら、そのまま関ケ原へ戻って古戦場めぐりへ。あるいは大野町の大御堂城跡まで足を延ばして「生誕地から墓所まで」を1日で完結させる組み立てもできます。移動が自由な車旅だからこそ成立するプランです。
注意すべきは道幅。岩手地区の一部区間は対向車とのすれ違いに気を使う狭さがあります。また菁莪記念館は火曜休館、垂井町観光案内所は月曜休みなので、火曜・月曜の訪問は見学できる施設が減ります。曜日を選べるなら水曜から日曜が動きやすいでしょう。
家族連れ|歩く距離を抑えて無料施設中心に
子ども連れの場合、菩提山城の登山は外して考えるのが現実的です。片道45〜60分の山道は、小学校低学年以下には負担が大きすぎます。代わりに、竹中氏陣屋跡の櫓門と石垣、菁莪記念館の復元模型を中心に組み立てましょう。どちらも無料で、歩く距離は短く済みます。
タルイピアセンターのマジックビジョンは、子どもの興味を引く仕掛けとしても機能します。映像で秀吉が語りかけてくる演出は、活字の解説板より入りやすい。所要20分ほどなので、飽きる前に見終わる長さです。入館料は無料なので、気軽に立ち寄れます。
注意点は、岩手地区にコンビニや飲食店がほとんどないこと。飲み物と軽食は垂井駅周辺や関ケ原ICの手前で調達しておくと安心です。またトイレも限られるため、駐車場に着いた時点で場所を確認しておきましょう。禅幢寺は現役の寺院なので、境内で子どもを走らせないよう声をかけておく配慮も必要です。
一人旅|レンタサイクル+菩提山城の登城で1日
歴史好きの一人旅なら、午前中に垂井駅へ到着してレンタサイクルを借り、岩手地区を自転車で回りつつ菩提山城へ登るコースが充実します。9時台に駅に着き、自転車で20分。陣屋跡と菁莪記念館を回り、11時頃から登城開始。主郭まで45〜60分ですから、昼過ぎには下山できます。
下山後に禅幢寺で墓参りをして、夕方までに垂井駅へ戻る流れ。菩提山城と半兵衛の墓を1日でつなげると、「山の上で美濃を睨んでいた男が、その山のふもとで眠っている」という構図が体で理解できます。御城印を集めているなら、この日程で2種類をまとめて確保できます。
注意点は、レンタサイクルの受付が14時までであること、そして山城の下山時刻に余裕を持つことです。日没が早い11月から1月は、15時には下山を始めるつもりで動いてください。単独行動になるため、登山前に飲料を用意し、家族などに行き先を伝えておくと安心です。
カップル|半日で墓所と南宮大社をつなぐ
二人旅なら、午前に岩手地区で半兵衛の墓と陣屋跡を回り、午後は垂井町南部の南宮大社へ向かうコースが組みやすいでしょう。歴史の重みと社寺の華やかさが対になり、1日の緩急がつきます。歩く距離も過度になりません。
南宮大社は美濃国一之宮で、朱塗りの社殿が印象的な神社。半兵衛ゆかりの地をめぐるスタンプラリーのチェックポイントにも含まれていた場所です。垂井駅から近く、車でも電車でもアクセスしやすいのが利点です。
注意点は、岩手地区に食事処が少ないこと。ランチは垂井駅周辺か南宮大社の周辺で摂る前提で、午前中に岩手地区を済ませてしまうのが賢い組み立てです。また墓所は静かに過ごす場所であり、写真撮影よりも手を合わせる時間を大切にしたいところ。撮影がメインの旅を望むなら、陣屋跡の櫓門や南宮大社のほうが向いています。

岐阜県で神社巡りをするなら、飛騨高山や伊勢方面だけが選択肢ではありません。岐阜県の西部・不破郡垂井町に「鉄の神様」として知られる南宮大社が鎮座していることをご存…
| スポット | 料金 | 所要時間の目安 | 駐車場 | 休みの有無 |
|---|---|---|---|---|
| 禅幢寺(半兵衛の墓) | 無料 | 15〜30分 | あり | 境内自由 |
| 竹中氏陣屋跡 | 無料 | 約20分 | あり(無料) | 見学自由 |
| 菁莪記念館 | 無料 | 約30分 | あり(共通) | 火曜休館 |
| 菩提山城跡 | 無料 | 往復2〜3時間 | 陣屋跡と共通 | 見学自由 |
| タルイピアセンター | 無料 | 20分〜1時間 | — | 月曜・祝祭日ほか |
| 三木市平井の墓 | 無料 | 約15分 | なし(公民館横) | 見学自由 |
| 平井山ノ上付城跡 | 無料 | 1時間前後 | あり(約20台) | 8:00〜17:00 |
※ぎふ旅手帖調べ(2026年8月時点/各自治体・観光公式サイトの公開情報をもとに整理)
まとめ|竹中半兵衛の墓は、静かな菩提山のふもとで待っている
竹中半兵衛の墓を訪ねる旅は、派手さのない旅です。天守閣もなければ、行列のできる名物もありません。あるのは、菩提山を背にした静かな寺の墓地と、400年以上そこに建ち続けている櫓門、そして山の上に残る土の城跡だけ。それでも、36年で生涯を閉じた男が生まれた土地・城を構えた土地・眠っている土地が、車で30分の圏内にすべて揃っているという事実は、他の戦国武将ではなかなか味わえないものです。
訪ねるなら、まずは禅幢寺を目指してください。名神高速の関ケ原ICから車で約10分。竹中氏陣屋跡の無料観光駐車場に車を停めれば、陣屋の櫓門も菁莪記念館も歩いてすぐです。午前中に着けば、菁莪記念館(9時開館・火曜休館)で竹中家の史料を見てから墓前に立つという、いちばん理解の深まる順番で回れます。
公共交通で向かう人は、平日を選ぶか、午前中に垂井駅へ着いてレンタサイクルを確保するか、この二択で計画してください。土日に午後到着という組み合わせだけは避けたほうが無難です。兵庫県側を訪ねるなら、カーナビの目的地を「平井公民館」か「平井山ノ上付城跡」に設定するのが、農道に迷い込まないための唯一の対策になります。
2026年は大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送年で、垂井町には例年より多くの人が訪れています。混雑を避けたいなら平日の午前、じっくり歴史に浸りたいなら菩提山城の登城まで含めた1日プラン。どちらを選んでも、半兵衛が見ていた西美濃の景色は変わらずそこにあります。手を合わせたあとに背後の山を見上げれば、この土地を選んだ理由が少しだけわかるはずです。
※本記事の情報は2026年8月時点で各自治体・観光公式サイトが公開しているものをもとにまとめています。最新情報は公式サイトでご確認ください。

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